ねぐち日記

変わりたい僕と変わりたくないたに|素直さと受け入れる心の強さ

neguchi


先日、たにと大げんかした僕。原因をひとことで言うと「素直じゃない」こと。


というのも、一緒に暮らし始めて3年半ほど経つ僕たちは「素直じゃないことが原因で起きる喧嘩」があまりにも多すぎるんです。


表面上の会話だけでは見えてこない、お互いが無意識のうちに思ってる本音が浮き彫りになってきました。


「それって自己保身でしょ?じゃあ僕の心は守らなくていいの?!、ねぐち激昂するの巻」スタートです!








ねぐちの激昂

ある日の夜、お風呂前に一緒にyoutubeを見ながら雑談していた僕たち。動画の内容と関連のある出来事トークをしていると...


たには、僕の話を遮り自分の話へとすり替えました。

まただよ、いい加減にしてくれよ。



プツリと堪忍袋の尾が切れた僕は、荒れ狂い激怒し始めます。








たにの悪い癖

というのも、たには「人の話を遮り、俺は〜と自分の話にすり替える」性質があるんです。その上、人の話に相槌を打つことすらできません。しかし、自分の話を聞いてもらう際は「相槌がないと不快」になるそうです。


自分が話す時も相槌が欲しいなら、僕だって同じです。僕の話の時だって、相槌は打ってほしい。じゃないと聞いてるのかどうか分からないし、興味があるのかどうかも分かりません。


それを何度も説明してるのに、今日もまた同じことが繰り返されるのでした。僕の虫の居どころも悪かったこともあって、ねぐちの逆鱗に触れてしまい激昂劇場、開幕です。







【その前に!】ねぐちの疑問

ビジネスシーンでは相槌できるの?

激昂する前に僕には確認しておきたいことがありました。それは「ビジネスシーン」では出来るのか?という点です。たには激務系サラリーマンとして15年以上勤務しています。


こんな会話の仕方であれば、僕だけでなく多くの人は不快に感じているるはず。それなのに、トラブルが起きたことはないのでしょうか?その回答によっては僕の主張は大きく変わってきます。


キレる前にあらかじめ、チェックしておきたい部分です。聞いてみると、「問題になったことはない」と言われました。問題があるのはねぐちの方じゃない?と嫌味まで頂戴しました。


さらに火に油を注ぐ結果となったたにくん、覚悟しておいてください。ねぐちの激昂スタート!










何度も繰り返す原因を探れ!

ということで、どうしてここまで素直になれないのか原因を探っていきたいと思います。


先ほどのビジネスシーンでの結果を踏まえると、メリット・デメリットを考慮するとリアクションや相槌が打てるということになります。プライベートではできないのが問題ですね。僕との会話では、損得勘定を考える必要なく「気持ちのまま」に接してるのが特徴です。


つまり、「相手の気持ちを想像したり、立場を考慮することが難しい」という問題が隠されていますね。ビジネスシーンでは気持ちの想像はできていなくても「自身の評価に関する損得を考えたらできるん」だと思います。その違いを理解することが前提となります。


会社では出来てるということもあり、本人は「有意義な会話が出来てる気満々」なんです。ここが周りからすると厄介ポイント。出来ていないことを証明するために、これまでの会話から問題点を洗い出していきます。









論点のすり替え

たにの問題点の1つは論点のすり替えです。たにが得意としてる必殺技の1つなんです。自分が責められる(=指摘される)ターンに入ると、すかさず論点をずらします。

  • それって結構多くの人に当てはまらない?
  • ねぐちの方こそ、その癖があるんじゃない?
  • 言葉が軽くなる
  • 重みがなくなる


これは非常に狡い手法です。話の矢印が「たにから世間や僕」へと変わってしまいます。そこを流してしまうと、たにの思うツボ。自分への指摘が終わって欲しいばかりに誰かを矢面に立たせます。


今はあなたの話をしてるからそこは関係ないよ。もし、どうしても「世間や僕」に関することを考えたいのであれば「後から別トピック」として話そうね。と反論すると一瞬は黙りました。


折れないたに

素直になれない理由に関しては、「頻繁に言うと言葉が軽くなるから・重みがなくなるから好意的な発言は控えたい、ダサくなる」とほざいています。本当に何を言っているんでしょう。


これまで3年半ほどの間に、その重みを持たせた発言をするタイミングはいつ訪れたのでしょうか。素直になれないことを正当化するための言い訳にしか聞こえません。さらに、言葉が軽くなると感じた経験はいつ・誰の言動で思ったんでしょう。過去にそういった人がいたなら、興味深いので話を聞かせてください。


もし、いたとしても「相手・状況」などの条件が異なるので今回のケースとは違うとは思いますが。最後にひとこと言わせてもらいますが、たらたらと長く「自分が素直にならなくて良いための言い訳を言い続けてる様子」の方がよっぽどダサく見えてますよ。









責任転嫁っ!

論点のすり替えによってできることは「責任転嫁」だと感じてます。自分が悪かったと認めて謝罪することは一種の責任の取り方です。社長さんや代表さんが不祥事があった時などに会見で謝罪してる様子をニュースで見ていて思いました。


だから、自分が悪いことをしたら謝って責任をとるべきだと僕は考えているのですが「たにはどうやらそれが苦手なようです。」


どうして僕はすんなりと謝ること(=責任を取ること)が出来るのでしょう。そこも関係ありそうです。







受け取り方のくせ

どうやら”素直になれない”という指摘の内容は「自分自身の人格を否定されている」と受け取るようなんです。えーっ!!!そこまで深刻に捉えないでよ!重苦しいんだな...。


そんなことまでは言っていません。ただ、実際に使われている言葉以上に否定的に捉えてしまっていると「素直に聞き入れること」は難しくて当然な気もします。


人格否定のような言葉を言われたと仮定すると「そんなんじゃないもん!」と言いたくなります。








現実を直視する力

色々と踏まえて考えると、不足してる力は「現実を直視する力」かなと思いました。たとえ、出来てないことがあったとしても現状はこれだから仕方ないと受け止めることができたら良いんだと思います。


僕の考えとしては、どんなに都合の悪い内容でも改善点は見つけられる。です。だから、詳細を知りたい。どこが問題なのか見つけて改善策を提案したいのです。


しかし、たにはその都合の悪さですら受け止めることに負荷がかかるように見えました。そして、それはたにだけではなく多くの人に共通する部分だなとも思います。







無意識へと変わった行動

最も怖いのが、これらの必殺技が無意識となっている点です。意識してやってるわけではないことに気づきました。その隠された本音が、普段の振る舞いに反映され続けた結果「言い訳をする・素直に意見を聞かない」ことが習慣となっているようです。


僕から「聞いてほしい・言い訳をしないでほしい」と伝えても、その後のたにに変化が見られなかったことも納得です。


無意識のうちに習慣化された言動からきてる「素直になれない」だと根本の部分を解決する必要が出てきます。







めげない鳥からの提案

以上の問題点を踏まえた結果、たにへ提案をしていきます。


僕自身、心地よい生活を送るためには絶対に譲れない部分です。このまま素直になることなく、適当な相槌や自己保身が目立つ会話をされたたらたまったもんじゃない!絶対に理解させてやる!


もう3年半ほどこの会話スタイルで正直イライラしていますが、僕は諦めの悪い鳥なのでめげません!








テーマは「素直さ」

たにに提案する大きな課題は素直さです。

素直さが足りないと感じる部分

  • 現状を直視すること自体に負担を感じるため”論点をずらして相手の責任に変える点”
  • 自分が変らなくても良いとするために”相手の意見を聞かない・聞きたくない点”
  • つまりは「頑固な状態」これは素直さとは正反対です。


簡単にまとめると!
  • 素直に人の意見を聞く力
  • 素直に話すこと
ねぐち

長期戦を覚悟して少しずつやってもらおうっと♪
ずっと暮らしていく仲なので最終的に出来れば、僕は十分満足です○


とは言っても、これまでやってきていないので自力で改善するのは難しいはず。”どうして素直さが大切になるのか”や、”今のたにが誤解してる部分を修正”することで、素直に近づくことはできないか深掘っていきます。






将来の悲劇をイメージしてみる

論理的に考えるのが得意なたにくんには「素直じゃない時のリスク」を示すことが有効になるかもと考えました。「自分を変えないという頑固な姿勢」を貫いていると何も変らず、成長せずにいわゆる頑固ジジイになってしまいます。


新卒で入社した会社にいたおじさんを思い出しました。その人は「人生で見たことないほど頑固で非常識」だったので驚いた記憶があります。きっと、ずっと自分を変えない姿勢を貫き続けた結果「あのような状態」になったんだなと思うと、たにには早く変化する方へシフトチェンジしてほしいなと思いました。


僕の捉え方

自力では気づけない視点を誰かに言ってもらうことで、今後の参考にしようと思います。自分をより良い方向に導いていくためには「必要不可欠」な要素だと思うんです。僕自身は得意なこと・不得意なことのムラが大きいので、苦手なところは「得意な人に聞いて」教えてもらいたいです。僕の中だけで出てくる考えや感性だけを頼りに人生を生き抜こうとすると偏ってしまうことが分かっているので誰かの意見は、実践するかは置いといて一度は聞くようにしています。












付き合える人が限定される

現在のたにの会話の仕方だと付き合える人が限られます。自分を全肯定してくれる人か、たに自信が言いくるめることが出来る人となりますよね。それ以外の人は「なんか違和感あるな」「この人と話すと楽しくないな」と感じてスッと離れていくでしょう。


しかし、その付き合い方には限界があります。それに、その付き合い方自体どうかと思います。自分が原因で人が離れていくんです。


あらゆる方面から物事を見ていくと「自分が原因」と自覚することができます。そして、今のままでは「いずれ1人ぼっち」になるかもというリスクを把握することも大切です。








厳密には「人格否定ではない」

指摘を人格否定として捉えやすい性質があるたにくん。それでは、聞く耳を持たないのも納得です。僕だって人格否定されたら嫌ですもん。


ただ、僕が言っているのは人格否定とは違います。シンプルな指摘です。会話する時に相槌やリアクションなどをしてくれないと、僕が嫌な気分になるという主張ですよね。それを聞く耳も持たず、受け入れようともしない姿勢の方がよっぽど「僕に対する人格否定」なんじゃないのかなと感じています。

ねぐち

不愉快すぎてスルー出来ません!








【結論】言うしかないじゃん

最後に、やっぱり言葉にするしか解決策はないと思います。人間は1人として同じ人がいないからこそ、考えを言葉にすることが大事なんです。だったら「考えてることを交換する」しかないじゃないですか。


「僕にはこう見えてるけど、君にはどう見えてるの?」と聞くしかありません。自分の意見を言って、相手の意見も聞く。それを会話の基本としながら”2人の折り合いがつく地点を探る作業”が共同生活では欠かせないんだと思います。






現実が厳しくても

それに受け止めたくない現実なんて世の中には山ほどあると思います。自分にとって都合の悪い内容は聞かずに、触れずに、目を閉じて現実逃避をするのは短期的」にしか有効ではありません


いつか、逃れられないほどの大きな問題となって40代、50代...と年齢が進んだ時に必ず訪れるでしょう。今よりも体力も気力も落ちた時の方が直視するのは辛いはずです。早くやるに越したことはないと僕は思います。







楽しむポイントを変える

現状維持ほど簡単なことはないと思います。精神的にも体力的にも楽なことですから。しかし、自分自身と向き合うことをサボってきたツケは必ず数十年後にやってきます。その時は「今」を楽しむことが出来なくなるでしょう。



僕は「今」をずっと楽しめないと嫌なので、変化を楽しむことにしています。自分と向き合ったり、相手と向き合ったりする作業は地味だし派手な変化は得られないし、長期戦だから根気がいるけど...。こんなにも大変だからこそ変わった時に嬉しいと思います。


そして、苦労して手に入れたものは簡単には失わないことも学びました。簡単に手に入るものは、簡単になくなっていきます。表面的な付き合いは少しの歪みで「壊れてしまう・離れてしまう」んです。そこに強固な信頼関係を結ぶことはできませんでした。


僕は、人との深い付き合いが不快で避け続けてきました。だけど、出来そうな相手と初めて出会うことができたんです。これからもたくさん衝突すると思うけど最終的には仲良くいられるように2人で頑張っていこうと思います。



それでは本日は以上です。最後までご覧いただき、ありがとうございました!




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