これまでの人生で関わってきた人たちの中にある一定の傾向を持つ人がいることに気づきます。それは承認欲求が強さ。
そこを満たすために人と接してる人が多いことにも気づいた僕。
これらの現実は僕の心を窮屈にしました。何だか、人との関わりが楽しくないと感じるようになった原因でもあります。
溢れている承認欲求とどう向き合っていくか、自分らしくと相手らしくを両立させていく方法を考え込む日々です。
ナルシストな「父親」
僕の父親はナルシストです。それはそれは本当に酷いナルシストで。
そんなに自惚れているお父さんなの?と聞かれると違います。
自分のことをカッコいいと思っている?違います。
そうではなく、常に自分に目を向けてほしく、周りの人にとっての1番の存在でありたく、周囲の人から「称賛・肯定」されないと生きていけないタイプのナルシスト。
名付けて「とにかく僕を見て、僕にだけ頂戴くん」です!
息子に映る父の姿
父は自分中心の世界でないと怒りや不満が止まらず、周りを怒鳴り散らします。
日常の不満や不平を僕たちのせいにして嘆き、不機嫌を撒き散らす。時には暴力を振るってまで暴れるのです。その姿はまるで怪物。
ただ、それは表面上の姿にしかすぎず本当の願いは「俺だけを見てほしい」という病的なほど異常に強い承認欲求であることに気づきます。
だから小学校高学年の頃からは、父のことを「承認欲求に取り憑かれたモンスター」としか見ることが出来ず、父の姿が気持ち悪くて仕方ありませんでした。
そんな怪物が自分の父親である事実も恥ずかしくて仕方なかった僕は、誰にも家族を紹介したくありませんでした。
僕の最大のコンプレックス誕生
家族の存在自体が「僕のコンプレックス」となったのです。
ねぐちの心情
家族がいることを隠さなくちゃ、家族の醜態を晒してはならない。
長年の間、ここに苦しみことになる僕。年々、コンプレックスは肥大化していきます。
世の中に溢れている承認欲求
承認欲求を持つのは、父親だけでないと知ったのは学生時代のころ。同級生にもいたんです。
10代だったこともあってか「承認欲求の強い」メンバーがちょこちょこいました。年齢とともに落ち着いていく子もいれば加速していく子も。
そんな姿は僕から見ると本当に気持ち悪くて吐き気がしてしまう。遠ざかりたい気持ち。あの怪物と重なって、嫌悪感を抱いてしまいます。
初めの頃は「男性特有の心理なのかな?」と思っていましたが、学生生活を送る中で違うことを知ります。
女子にもたくさんいました。
みてみて!だけじゃない
父親のように見てみて系の承認欲求は分かりやすいので気づきやすいですが、逆タイプの承認欲求もあったんです。
それは選ばれたい系の承認欲求です。
特に女子に多くて...もうこれが厄介。承認欲求にはたくさんの種類があるんだ...とショックを受けました。
偽りの共感が渦巻く世界
- どうにかして褒めさせたい子(遠回しに褒め言葉へと導く)
- 周りを下げることで自分がすごいと感じたい子(足を引っ張るための攻撃)
- 周りを認めないことで自分を認めることができる子(マウンティング行為)
- 自分から言わずに(誘わせる・言わせる)ことで承認を満たす子
本当にたくさんの承認欲求を見てきました。学生の期間だけの付き合いだからと割り切り、接していましたがどれだけ期間を過ごしても好きになることは出来ませんでした。
私利私欲に取り憑かれた人間たちの姿が気持ち悪くて仕方なかったんです。
偽りの言葉ばかりを鵜呑みにして、自分自身の世界の中だけで「自分のみを特別」だと思い込んでいる様子が理解できませんでした。
この人たちはいつ幸せになれるんだろう?
彼らと過ごす中で感じた疑問が1つあります。
「この人たちはどうなったら満足し幸せだと感じるんだろう?」
承認欲求が強く心に存在する限り、誰かがいないと心を満たすことが出来ないということです。1人になったら、たちまち不安になり不幸だと嘆く。
それに、肯定的な言葉を投げかけたとしても「マイナス100」だった気持ちが「0」になるだけであり幸福だとは感じていませんでした。
プラス100の状態が幸せだと感じるタイプなようで...。良かれと思い「数字を上げよう」と肯定的な意見を伝えたとしても、それは「ゼロ」にしかならないと知ります。
ねぐち疲弊する
もう何か、相手すんのん疲れたな。と思いどんどん疎遠になっていきました。
僕が学んだことは「とにかくそこへの執着を持つことはやめよう」ということ。
怪物側は自分だった
しかし、現在は自分の異常性に気づきました。それは承認欲求は人間として健康的な欲求だったということ。
心から自然と湧き出てくるものだと知ります。むしろそれが皆無な僕の方がモンスターでした。
いまだに実感することは少ないですが、「この人には認めてもらいたいな」などといった自分が特別な感情を抱く人・長い付き合いをしていきたいなと思う人には承認欲求を向けても良さそうです。
そうすることで「さらに深い関係になれる」ような気がしています。
だからと言って全部が悪いわけではない
僕の大きな勘違いは「承認欲求を恥ずべき行動」だと思っていたこと。
「あんなみっともない姿になりたくない」という父親への軽蔑を抱きながら育った結果、承認欲求を一ミリたりとも受け入れることが出来ない鳥になってたんです。
ねぐちのしんどさ
人からの要求や要望が汚物に見える感覚。
毎日どこかで必ず繰り広げられている光景。
本当に見たくなくて...外に出ることが出来なくなった。
確かに、行きすぎた承認欲求は周りへ迷惑をかけるので良くないと思いますが、僕のように全否定する段階まで来てしまうと、それはそれで大問題。
さあ、どうするねぐち!
結婚してから僕に大きな変化が起きました。
長く付き合ってみたいと思える人に出会えたことです。たにとの生活で、今までの関係性の築き方では「結婚生活が破綻してしまう危険性」を実感。
変えよう、と決意します。
動き出せ、ねぐち
誰かに賞賛や肯定をしてもらわないと「日常の平常心を保てないわけではない」
だけど、誰かの役に立つ感覚は僕が生きる意味になると思ったのです。
僕の問題点は「無気力・やる気がない」こと。それは承認欲求のなさが間違いなく原因でした。
そして、それは度が過ぎると「死」を考え出す。僕は身をもって経験しました。
負の連鎖を断ち切りたい鳥
恨んでもないし尊敬もしてない
今、父親に対しての気持ちは?と聞かれると特にありません。と答えることになります。
恨んでいる期間もありましたが、もう戻すことはできない。それに当然ですが尊敬できるような点も見当たらない。
なんと表現したらいいか分かりませんが、とりあえず「これからの僕の人生に不要な人」だということは自覚しています。
経験したから言いたいこと
父のような承認欲求の強いモンスターは世の中にちらほらと紛れています。
ただ、そんな人と一緒に過ごした未来ががどれだけ互いを不幸にするかも知っている。
だから、そんな人と関わっている人がいたら「とにかく逃げろ」と伝えたいです。
これ一択なんです。父のようなタイプの人間は自力でどうにか現状を正面から向き合い、改善する力がない人です。
だから他人に求める。父は1人になることを最も恐れています。
僕の思い
父と同じ種類の人間になることだけは絶対に嫌でした。それだけは死んでも嫌です。
僕の生まれた家庭で起きてきた負の連鎖は僕の代で断ち切ります。
困難にもめげずに、考えて考えて、傷ついても立ち上がって、心を強くしてきた。
そんな僕のことを、僕は誇りに思っています。
反面教師に最高な存在
世の中にある「親を尊敬しなさい」「家族仲良い方がいい」などの一般論。
こうある方がいいと言われている内容に沿おうと努めてきたことも僕の失敗の1つです。枠に収めることが出来ない問題も世の中には存在します。
尊敬できるような父親・理想の親子関係になれるように僕も努めよう。そう思っていた時期があります。
その戦略は玉砕しましたが、学んだこともあります。ダメなパターンがはっきりと分かるようになってきたので収穫もありました。
【まとめ】色々と見た結果
これまで色んな人間模様を見てきた結果、思うのは「自分の心は自分で満たせるようになって欲しい」ということでした。
僕は経験からどうしたら「ブレない自分が形成される」かを知っているので悩んでいる人がいたら伝えたい・教えてあげたいと思います。
どうか毎日の悩みが少しでも減って平和な日常になればいいなと思うからです。
ただ、誰にでもすることはよくないと学んだ僕は「相手を選ぶことの重要性」を深掘り中。
良かったら、また次回も見てみてください。それでは本日は以上です。最後までご覧いただき、ありがとうございました!