久しぶりにお友達と会った僕。絶賛引きこもり中の僕ですが、一応お友達いるんです。
前に職場が一緒だった女の子で6コも歳が離れているので「異文化交流も交えたお茶会」が実現できます。
いやぁ、すごく楽しくて最高だったー!
と思って過ごしたのですが、ある衝撃の事実が発覚。
僕はこれまで周りからの攻撃に気づいていなかったかもしれない。「世間話って難しいね、ねぐち混乱する...」の巻、スタートです。
平日・昼下がりのお茶会
今日は平日。たには出張。僕はお家に1人です。
そんな日に前の職場で仲良くなった6個下の女の子が遊びに来てくれました。
年が離れているものの話が弾む僕たちは、2人きりのお茶会を開催しています。
そこで話題になったのは「女性同士ならではの会話」について。女性同士の関係は面倒だなんて、巷で耳にすることはありましたが「そうかな?思ってるほどはないけど」ぐらいの気持ちで過ごしてきた僕。
今になり衝撃展開を迎えます。むかしむかし、あることを言われたことを思い出しました。
「男好きだよね」「ビッチ」「あざとい」と。
これらの言葉が悪口だったなんて...、僕は分かっていませんでした。
【衝撃】攻撃ってたくさんあるのね!
「ばか」「死ね」「キモい」など沢山の悪口がこの世に存在することを知ってはいましたが、それ以外にも種類があることが発覚!
直接的な悪口や暴力だけでなく、間接的な悪口や攻撃があるようです。
全然気にしてませんでしたが、これまで沢山言われていたようです。
とある話から、気づき始めます。
男好きって悪いことなの?
知人に「男好きだよね」と言われたことがあるよと告げると、友人は「えー!!!それ悪口だから!」と指摘してくれたんです。
僕はてっきり恋愛対象が男性か?、もしくは恋愛の優先順位が高いか?などと度合いについて聞かれていると解釈していました。
僕自身、あまり恋愛に興味はなく。なくても元気に生きていけるっしょ!ぐらいの感覚だったので「それだったら男好きまではないかな〜」と感じ...。
しかし、その場には男性も同席してたので「男好きじゃないよ!」なんて言っちゃうと男性(=性別)を否定してる・差別してるみたいになるんじゃないか?
それに「男好きの基準もその女の子によって違うだろうし...もしかしたら男好きと言ってきた子から見ると「僕は男好きの部類に入るのかな?」...
色々と考え込んだ結果...
「そうかも!」と明るめに答えるという結論に至りました。
異文化交流のおかげで相手の真意が見えてきましたが、僕はなんて”トンチンカンな会話”をしてたのでしょう。
噛み合わない会話
どうりで会話が噛み合わないことが多くありました。そうかも!と答えると、え?と言って驚いた顔をするのです。
こっちこそ、え?です。そっちが言ってきたことに賛同しただけなのに。どういうこと?だってそっちが言い始めたことだよ。
何この人。と思っていたのですが、「何この人」と思われているのは自分でした。
ねぐちの脳内
えぇーーー!会話が噛み合わなくてごめんね!!
てか、間接的だとしても人を攻撃するのって性格悪く見えるよ!
見え方気にしてるタイプなんだろうから注意した方がいいよ。
だが、しかし...
会話が噛み合ってないことに反省したものの、1つの結論が浮かんできます。
そもそも攻撃のつもりで言ってるなら相手にする必要ないのか。好きに言わせておけばいいんです。
結果論になりますが、攻撃にさえ気づかれるなかったことが最も悔しいでしょう。
棚ぼたねぐちの審美眼
というよりも、そんな女の子たちにありがたく思っている所もあったんです。
だって、同席してる男性が「いい人かどうか」を判断する材料になるから。
もし彼女の言葉をそのまま信じるとしたら、僕はその人と相性が良くないと思います。
他人からの評判は参考程度にしかならないと思ってるので、「その女の子の意見で僕に対する印象」を判断する人とは合わない。
逆に「そうかな?」ぐらいに受け流してくれる人だったら「同じタイプだ!」親近感が湧きます。
それもこれも「その子が男好きの話を振ってくれたから」です。鈍かったことがいいんだが、悪いんだか。何とも言えません。
嫌味もまたスキルの1つだな
「嫌味を嫌味と受け取れず受け流すのは1つのスキル」だと彼女は言います。
しかし、嫌味を駆使できることもやっぱりスキルです。
基本的には「そういったコミュニケーションが理解できる力(=スキル)」があるのですから。
それをわかることができない僕は、やっぱりスキル不足により集団の輪を掻き乱す存在になるでしょう。
思わぬところで相手を傷つけているだろうし、傷つかなくていいところで僕自身が傷ついていそうです。
しかし、その事実が発覚したからといって「分かるようになるわけではありません」
難しいところ
ここが難しいところですよね。気づいても、だからと言って使いこなせるわけではない。
だけど、それが世の中ではたくさん使われていて...うわぁ〜!!!
と頭がパンクしかけた僕は引きこもりを加速させます。
もう嫌だ、何も見たくないし知りたくない。疲れる。把握しきれない。どうしよう。誰とも喋らないでおこう。
傷つける心配も、傷つく心配もない。
どうするねぐち?
自分自身の関わり方のまま、対人関係を進めていくと「不用意に誰かを傷つける可能性が出てくる」
それに「自分が知らないだけで攻撃的な人間が存在する」こともあります。
うわぁ、めんどくさ...
そして、僕は更なる引きこもりを加速させていくのでした。
まぁいっか
そして、数ヶ月悩んで...出た結論は「まぁいっか」
僕が中学生の頃から感じていたように、人はみんな違うのだから。
僕だって違っていいはずです。
好きに振る舞っている人ばかりなのだから、同様に僕も気にする必要なく振る舞えばいいか。
以前、主治医の先生がなんか言ってことを思い出しました。「今は多様性の時代だからいいんじゃないですか」と。
当時は「何の話をし始めたんだろう」ぐらいに思っていたのですが、こういうことだったんですね!
今になり理解しました!よーし、のびのび生きていこうっと。
だったら元気にやらせてもらうよ
好きにしていい。ということ意味合いがようやくわかり始めた僕。
それもこれもたにのおかげです。
何もダメということなく、好きにしていいんだよと言い続けてくれて、混乱する僕のことすらいいよいいよと言い続けてくれた。
本当にありがとう!感謝!
そして、最後に言いたいことはただ1つ。僕を巻き込まないで欲しいということ。みんなが争っている内容には興味が湧きません。
”好感度コンテスト”には参加したいと思いません。そもそも好かれようが、嫌われようがどっちでもいいです。
自分がやりたい!と思った内容のバトルに参加したいです。よく分からない攻撃方法も効かないのでやめてくれると嬉しいです。
それでも続けたいなら、好きにしてください。多様性の時代なので、それはそれで認められるべきだと思います。
と感じた1日でした。それでは本日は以上です。最後までご覧いただき、ありがとうございました!