「20代前半の葛藤」「数字を追うという依存」のテキストタイトルと右側にインスタントコーヒーの瓶の上に乗るオニオオハシのぬいぐるみ"ねぐち”の写真があるアイキャッチ画像

THINKING 心理研究

摂食障害になっても追い続けた「数字」|”結果主義の自己肯定感”の脆さ

みなさん、こんにちは!バードセキュリティのねぐちです。


気づけば、僕はずっと数字を追いかけて生きてきました。


成績、点数、順位、体重...


数字って分かりやすい指標となるため安心感が強いのですが、変動すると一気に自信を失ってしまうという負の側面があります。


数字を追いかけた学生時代〜20代前半、
そんな僕が陥ったのは「摂食障害」でした。

数字に支えられる自信は脆く、儚い
同じような生き方をしてきた人も少なくないはず。


皆さんは、本当に自己肯定感が高いですか?





なぜ人は数字で自信を測るのか

「なぜ、こだわる?数字がほしい」というテキストメッセージと左下にはインスタントコーヒーの瓶の上に寝そべるオニオオハシのぬいぐるみ”ねぐち、右下には表彰台1位の上に立つオニオオハシのぬいぐるみ”ねぐち”のイラストがある挿入画像。

社会が与える分かりやすい評価軸

社会には分かりやすい評価基準として肩書きやステータスがあります。


これらは立派な評価軸の1つ。


入社・入学・転職・結婚...などあらゆる面で問われる「条件」として機能しています。

  • 成績(偏差値・順位・総合点数など...)
  • 年収
  • フォロワー数や登録者数...



こういった数字が高いと、
人生で有利になることは事実。


そのため、多くの人が良い結果を出すために努力を惜しみません。


できれば、欲しいですよね、僕だってほしいです。





努力が「数値化」される快感と依存

そういった、数字で高い結果を出すことができると嬉しい。
同時に、快感も生まれます。


「自分が認められた」という承認欲求が満たされることへと繋がります。


社会的評価に大きく関与する項目なので、自信もつきがちです。


初めて会う人でさえ、これまでの結果を話すと「すごいね」「立派な人なんだね」と言ってくれる。


そんなキラキラしたアイテムに、いつの間にか依存してるケースが多いんです。




数字の上下で生まれる「安心と不安」

僕は学生時代の頃、成績は良かった方だと思います。保育園の頃から就職するまで「ずっと褒め続けられていた」部分です。


そんな僕に暗雲が立ち込めたのは新卒の頃。


偏差値や順位といった評価基準がなくなり、社会人として働き出した僕には何の数字も与えらませんでした。


そうなった僕は、いったい何を評価軸として自分に価値を見出せばいいのか分からない状態に陥ってしまいます。

自分はこれで大丈夫。と思える指標がなくなってしまった感覚。
何か、僕に追いかける数字をください...!







失敗談「数字に支配されていた20代前半」

「僕の失敗」「コントロールした日々」「20代前半は本当に辛かった...」というテキストメッセージと、左下にはベッドで両手をあげて寝そべるオニオオハシのぬいぐるみ”ねぐち”の写真がある画像。背景は薄ピンクでポップで柔らかい印象

何かを追いかけて成果を出すことでしか自信を持ったことのなかった僕は、路頭に迷ってしまいます。


そこで、体重にこだわることにしました。
その結果、摂食障害に。


過食嘔吐や過度な体重制限を自分に対して課すようになっていきます。



体重という”数字”への異常な執着

唯一、自分自身でコントロール可能な数字。


そして、社会的にも意味がありそうな数字。


「見た目=体重」という部分に、異常な執着を見せるようになっていきます。


その沼は大変深く、抜け出すのが本当に大変でした。


100g単位で管理する日々

当時は、目標体重を今以下に設定し現状維持すらNG
毎日、100gでも減少することを目標に生活する日々です。

減少した体重(=数字)が『今日の自己評価』



何かしらの結果を出さないと自信を持つことなんて出来ない。
本気でそう思っていました。


というより、その方法でしか自信を持ったことがなかったんです。





SNSやブログでの一喜一憂

最近では、Instagramで表示されるインサイト(リーチ数・閲覧数・フォロワー数...)の数字に一喜一憂してる自分がいることを発見。


またも新たな数字を見つけて依存してしまうところでした。


ただ、ある教訓を学びます。
「こういった数字は、いつまでも頼ることができない」

だから、別の方法で自信を持っていくべきだと改めて感じます。







数字では養われない「揺るがない自己肯定感」

「揺るがない自信とは?」のテキストメッセージ、左下には「数字の自信って脆くて、儚いんだ」といつぶやくインスタントコーヒー瓶の上に乗るオニオオハシのぬいぐるみ”ねぐち”の写真がある画像

数字の自信は、脆く・儚い

数字から感じられる”自分への自信”は、脆く儚いという性質がありました。

学生時代であれば、その期間だけは成績という部分で自信を持つことができる。


卒業して状況が変わるとその自信は一気になくなり、
簡単に消えてしまうほど、脆い自信でした。


とても限定的な自信


人生という視点で考えると、こういった数字の自信に頼り続けるのは限界があることを意味してました。





数値は変動するため、心も変動する

また、数字は変動的なものです。


それに伴い、自分への自信も変動することになるので不安定ですよね。


少しでも結果が出せないようになると、
ガタガタと自信を失ってしまうことになります。

社会人になりガタガタときた理由

  • 学生時代は大きく順位や点数が変動することなく安定していた(実際はいつ崩れてもおかしくなかった)
  • 体重はある程度まで落ちると減らなくなる(そのことに焦りを抱くようになり取り乱すことに)

体重という数字で「減らすという結果」を出し続けようとするのは体が持ちません。


当時の僕は、近所の買い物すらままならず年に4回は救急搬送されていましたね....

これは大問題すぎる!






結果を出せなくてもOKと言えたら

結果を出すことができなくなったときに病むこと確定です。


だから、結果が出なくても「まぁいいじゃん」と言えること。


これが本当の自信なのでは?と感じ始めました。

できない自分でもいいじゃないか、
そもそもどうして何でもできると思ってるの?
できないことだって自分にもあるはずだよ。


そもそも、できる自分に対して自信を持つのは簡単です。
誰だって出来ます。


ただ、ダメな自分も「まぁ、それでいいじゃん」と肯定することができることは難しい。


ここもできることが、本当の自信のような気がしてきました。






本当の自己肯定感とは何か?

「本物の自己肯定感って?」「出来ない自分も認められることが大切」というテキストメッセージと、左下にはインスタントコーヒー瓶の上に片手をあげて陽気に乗っているオニオオハシのぬいぐるみ”
ねぐち”の写真がある画像

成果は関係ない!自分で自分を尊重する力

僕が大事だと思うのは、結果が出せない自分でも「それでも大丈夫だよ」と自分を尊重する力です。


これが最も難しい。
いまだに、ブレちゃう日があるのが本音です。

ダメだったとしても「今回はダメだったけど、まぁいいじゃん、次に頑張ろ」と思える力です。





数字が動かなくても揺らがない安心感

失敗は失敗としてありのまま受け止めて、
それでもまぁいいじゃないと言える力が強さです。


開き直ることもせず、
過剰に自己評価することもなく、
現実逃避もしない。


起きた事実を正面から直視して、受け止めて、それでもまた頑張ろうと前を向く力。


これが自分を尊重できている姿のような気がしてなりません。






自分の存在と行動を分けて認められること

結果が出せないからといってダメな鳥になってしまうわけではありませんでした。


だからといって、僕の存在が無価値になるわけではない。


今回は残念だったけど、自分の存在自体が否定されるまではない。


そうやって、自分の存在と行動を分けて考えることを意識しようと思います。

自分を俯瞰する難しさ

他の人が同じように悩んでいても、
きっと「気にしなくて大丈夫だよ」
と、声をかけてあげることができます。


しかし、自分には言えない。
これが心の難しいところ。


そんなものなくても、
何かを成し遂げなくても
「僕は僕のままで大丈夫だから」





エリート男性ほど聞いて欲しいこと

「エリートほど聞いて欲しいこと」「俺は大丈夫、が危険なサイン」というテキストメッセージ、左下にはコーヒー瓶とアイスカフェラテカップの間に立つオニオオハシのぬいぐるみ”ねぐち”の写真がある画像。

そんな結論に辿り着くことができて、やっと落ち着いた生活を送ることができるようになってきました。


そして、また1つある気づきが。


この罠にはエリート男性ほど陥りやすいのではないだろうか?と。


社会的評価の軸で自信を持ってきた人ほど要注意!

学歴、運動神経、年収、業績、などあらゆる場面で、好成績を収めることが出来てきた人ほど、数字で自信を持っているケースが多いです。


失敗する経験自体も少ないため、「ダメな自分」を痛感する経験も少なく、30代・40代になり、突然「あれ?」となる人も。


とくに男性は競争社会が多いです。


結果をシビアに求められる場所に身を置いている人だからこそ、結果を出して生きています。



俺は大丈夫、が危険なサイン

俺はそんなことない。
と思っている人ほど、
ガタガタと行きます。


過去に、挫折したときに「ダメな自分でもいいか」と受け止めて乗り越えてきた人は問題ないでしょう。


ただ、出来る人ほど、さらなる結果を出すことで挽回しようとしがち。


仕事、家庭問題、自分のキャリア...
あらゆる場面が八方塞がりになった時に
「自分には何があるんだ?」と一気に自己喪失へ向かいます。




数字がなくても自信を持てるようになれたら

結果を出せることは本来いいことで、
そのために努力できることもいいことです。


問題なのは、結果が出せない時の自分を認めてあげられないこと。


それもできるようになった時、本当に揺るがない強くタフな心を持った人になれるでしょう。


そんな人が自己肯定感の高い人と言えるのではないでしょうか?


それでは本日は以上です。
最後までご覧いただきありがとうございました。

  • この記事を書いた人

ねぐち

ついつい人の悩みや選択の背景にある「構造」を考えてしまう鳥です。 感情と論理、どちらも踏まえた上で、納得できる理解を大切にしています。 「理解すること」が人生を楽にしていく流れを、ここで記録中。

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