「傷つきたくないが危険なワケ〜過剰な自己防衛〜」というブログタイトルが書かれたアイキャッチ画像。右側には、オニオオハシのぬいぐるみ”ねぐち”と後ろにはコーギーが伏せている様子が写った写真がある。

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成長を止める「傷つきたくない」という過剰な自己防衛|非を認めない人の末路

みなさん、こんにちは!バードセキュリティのねぐちです。

前回の記事では、嬉しい返戻金事件から勃発した僕たちの喧嘩「非を認めない姿勢とそこに潜む心理防衛」についてお話しました。

今回はその続きとして、なぜ人は自分を守りすぎると成長を止めることになるのか。そして、非を受け止めながら生きる”成熟”のあり方について考えることに!

それではスタートです!


成長を止める自己防衛の壁

なぜか守りたくなる「自分の心」

自分にとって嫌な現実や都合の悪い事実に直面した場合、自分の心が傷つくことから守るために防衛反応が起きます。

その1つとして、「自分の非を認めない」という反応は起きやすいです。

それは、人間の心として正常な機能。一時的に心を守り、崩壊することを防ぐのは大切な段階。

自分の心を守るための重要な機能なんだね



しかし、それを過剰にしてしまうと本当は解決しなければいけない心理的課題を先送りすることになります。




どうして心理的課題に発展するのか?

先ほど話したような「傷つきたくない」という心理背景に共感することができますが、その先に待つ問題を知っている人は少ないように思います。

それは、自分自身の成長がなくなってしまうこと。

精神的な成長することがなくなってしまうんです。体だけが成長した、心が子供・未熟なままの人間になってしまいます。



現状維持を選ぶ心理とその裏に潜むリスク

自分の非を認めず、現状維持する姿勢を続けると「現実を受け止める力が欠けた状態」になりかねません。

若いうちは、大きな問題に発展することは少ないです。しかし、環境・条件・相手を変えてもどうにもならない(=つまりは自分に原因がある)という問題に直面したときのリスクがあまりに大きいです。

現実として抱えている自分の非を、直視・受け止め・改善しようとするために必要な耐性がなく、どんどん状況が悪化することに。

現状維持を選べたくなる理由は?

変化には、多かれ少なかれリスクが伴います。
一方で、現状維持にはある程度の安全が保障される。

なぜなら、現状とはそのとき。
今その時に、それで安全に生きていることを示すから

それを維持する方が気持ち的にはラク
無意識のうちに、人はそれを選んでしまうようです

精神的な成長の機会を失ってしまうね

でも、そもそも心の成長ってした方がいいの?







精神的成長が止まると危険なワケ

自分以外の視点を持つことができない

相手から受けた指摘や問題点など(=自分の非)を認めずに過ごしていくと、「自分以外の視点が一切入ってこない」ことになります。

自分の中の考えが合っている部分もありますが、完璧な人などいないので間違っている部分だってもちろんあります。

それに気づくことがないまま、年老いていくことに。それは危険!

周りとのすれ違いの原因になりそうだね...




痛みに対する耐性が極端に低くなる

また、自分の非を認めないことで「精神的な痛みを受け止める耐性がいつまでもつかない」ことになります。

成長するためには、「今の自分の問題点を知り・見つめ・改善しようと奮起する」このステップが必要です。

非を認めないと、自分の問題点を抱える免疫が育たないんです。

部活動の基礎練のようなもの
勉強でいう基礎理解のようなもの
だから、これが心の成長の基礎っ!





間違えない人よりも直視できる人

たにくんとの痴話喧嘩から感じたのは、「彼は間違えることを=悪い」と捉えてる様子。

個人的には、間違えない人が正解ではなく、自分の間違いを直視できる方が良いと感じます。

たしかに、間違えない人はいないから「そんなことはあり得ない」んだね

僕個人的には、変われるチャンスを掴めない方が恥ずかしいと思ってしまう







良好な関係を築くことができない

また、自分の非を認める力がないと良好な夫婦関係を築くことが難しくなります。

夫婦関係だけでなく、職場でも・親子間でも、「お母さんの言うことを聞きなさい」「父親の俺が言うことが正しい」「あなたは何も分かってない」などと思い過ぎてしまうと、本当は自分に間違っている部分があることに気づけません。

そんな人とは良い関係は築くことは出来ないですよね。

なんだか孤独感も募りそう...

自分の非と向き合う力がないと、適切な信頼関係は築けないのかも






「自分の問題を相手に投げ返す」という加害

自分の非を認められない人がやりがちな対応として「自分の問題を相手に投げ返す=責任転嫁」がよく見られます。

本人の問題点の話から、いつの間にか「相手の問題点の指摘」にすり替える会話を目にしたことがあります。

僕は、それが一種の加害行為のように見えてしまうんです。



論理のすり替えで、責められたねぐち

今回の返戻金事件で、ある時点で僕は強い違和感を覚えました。

  1. たにくんが返戻金をお小遣いとして計算しようと思った理由
  2. ねぐちの言い方が怖くて責めているように聞こえる件

1から2へと、話の本筋が変わっていったのです。気づけば、「そう聞こえたならごめんね」と僕が謝っている形に。

それはそうだけど、今の話はそれじゃないじゃん!
あまりに酷いよ、僕の問題点ばかり取り上げて。




自分の問題から逃げるために「利用しないで」

人は誰しも長所や短所があります。だから、1つの会話の中でもアラを探そうと思えば出てきてしまう。褒める部分も同様に誰にだってあります。

それを逆手にとって、自分の短所に関する議題になるのを避けるために「相手の短所に関する議題を変更する」のはズルすぎる!

一種の加害行為です。それなのに、言い方が高圧的で怖かったと被害者の立場まで取ってくるも。これが余計に腹がたつ展開。

そりゃ話してて、楽しくない会話になるな

それを自分の問題から逃げるために、コミュニケーション間で使用することはよくないと思います。




”責任の投げ合い”に発展することも

もし仮に、自分の非を認めない者同士が夫婦やカップルだった場合「それぞれが相手に責任を投げ合う=相手の非を指摘する会話ばかり持ち出す」ことになります。

その会話は互いに居心地がいいはずがありません。離婚問題に発展してるケースだって少なくないでしょう。





【ねぐちが解決】成長しながら生きていくために

ここまで、非を認めないことで起きる問題やリスクを理解してきました。そこで、どうしたら「いい感じに成長しながら生きていけるか」を考えてみることに!

非を受け止めることは負けではない

まず第一として、知っておきたいことが。

それは「自分の間違いを認めること=敗北ではない」ということです。

それは敗北ではなく、更新。今どきにいう「アップデート」です。

アップデートしたら使いやすさが変わるアプリのように、自分の間違いを認めたら「もっと生きやすくなる」ことを心得ることからスタート!



小さな気づきを積み重ねる

人間関係のトラブルには学びのサインがたくさん隠されています。

それをアップデートに使うか、現状維持の安心のために使うかはあなた次第。いい感じに成長していくためには、もちろんアップデートが必要不可欠

  • 揉めた原因は何だろう(自分にも非がないかな?)
  • 何度も同じようなトラブルに遭遇する原因は自分にあるのかな?

最初は直視するのがきついかもしれませんが、少しの痛みを乗り越えると「なんだそんなことか」ぐらいのことに思えてきます。成長のための重要な鍵が隠されているので是非、向き合ってほしいところ。

けっこう成長したな♪なんて思ってても、すぐにまた新しい課題が出てくる日々だなぁ

ねぐちより20年以上長く生きてる私でも、まだまだ課題は出てくるぞ...





"非を受け止める力"を鍛える

「完璧な人はいないように、誰にでも非があるな。だから、自分にも非はある」

以上のことを自覚したところで、次に大事になるのが「非を受け止める力」です。

ここが身につくと、一気に改善の方へ向かっていくはずです。指摘された非を無かったことにするのではなく、相手の責任に転嫁するわけでもなく、自分で抱える力が必要です。これはもう、特訓あるのみ。最初はあまりに重くて、痛くて投げ出したくなるはずですが「とにかく持とうとする(=非を見ようとする)」ことがポイントです。

  • 生活力がない(起床と就寝の管理ができない、外出への耐性の低さ)
  • 言い方が強い(事実を並べることで気持ちを無視)...まだまだたくさん

やっぱり気づいた最初は認めたくなかったです。まさか、僕がそんなはず...って本気で思ってました


けど、毎日コソコソ・コツコツと見てみよう・抱えようとしてみると「確かに問題である」ことに気づきます。これまでにも何度も自分の問題点と直面してるので、ちょっとやそっとじゃへこたれなくなってきました。




【ちょいムズ】言葉をしっかりと聞き分ける

ここからは少し難易度が上がりますが、「人からの指摘が全て正しいわけではない」ことを知っておく必要性もあります。世の中には、自分が正しいことを証明するために「何でも人のせいにする人(=他責な人)」が必ず存在します。

自分が良くなかったかな?と思って、その部分を改善してみても何度も指摘してくる場合は「相手からの否定」となります。それは、あなたの問題ではなく「相手側の問題」

だから、その人の言葉は聞き流しておいてOKです。「変わらなきゃいけないのはあなたの方だよ」と心の中でつぶやいておくのがおすすめの方法です。

僕のお父さん、学校の同級生とそんな人が沢山いたなぁ...
何をしても・何を言っても、新たになにか言ってくる。
この人の言葉は間に受けなくていいことを発見!

何度も練習していると、非を認めるのも怖くなくなりますし精神的痛みも軽減します。相手のことをもよく理解できるようにもなるため、信頼できる人・誠実な人・親切な人など見極める力もグッと鍛えられました。







【結論】成熟とは、非を抱えながら成長できること

未熟という言葉の対義語は、成熟。これは完璧を指すわけではないと思います。

成熟では、「非があることを知り受け入れ、他の人も同様であることを許容し、それでも改善しようとする姿勢を持ち続けること」だと思っています。

まだまだ30歳なので未熟者ですが、現時点での結論はこれ。


自分の非を直視する覚悟から

返戻金のやり取りは小さなきっかけに過ぎませんでした。本質は非を認めない姿勢への苛立ちと、そこから見える彼の成長のストップ。

同時に、自主的に自発的に成長することができる人間は非常に少なく、ほとんどの人が誰かのサポートや助言があって変わっていくのだろうなと思いました。

もちろん自分だってそうです。適度に周りの意見を聞いて、でも流されすぎることなく、参考にする程度で暮らしていこうかな。


良好な夫婦関係を壊さないために必要なのは、相手の非を責めないことではなく、自分の非を直視する覚悟だと感じました。

難しいけど、これからもコツコツ基礎練していこうと思います。

それでは、本日は以上です。最後までご覧いただきありがとうございました。

  • この記事を書いた人

neguchi Kotaro

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