皆さん、こんにちは!バードセキュリティのねぐちです。
僕が大好きなアニメ作品の1つに魔法少女まどか☆マギカがあります。
その作品を見ていて感じたのは...
「これって港区女子のことみたい」
願いと引き換えに魔法少女になる契約は、
キラキラと引き換えに港区女子が持つことになるリスクと似てる。
ねぐちの作品考察、スタートです!
魔法少女と港区女子の共通点
記事の要約:「憧れを消費する構造に、人はどう取り込まれるか」

契約によって得られる「キラキラ」と引き換えのリスク
『魔法少女まどか☆マギカ』の魔法少女と港区女子は、得るものの代償としてリスクや宿命を背負うことになってるのが共通点の1つだと感じました。
魔法少女が得る力と代償は?
- 【得る力】自分の願いを叶えることができる
- 【代償】魔女と戦い続ける魔法少女となる
港区女子が得る力と代償は?
- 【得る力】高級でキラキラした暮らし、豊富な人脈
- 【代償】精神的消耗、身体的リスク
どちらも、一瞬で憧れを手にすることができますが、その裏に潜むあらゆるコストがあることを自覚してない少女が多いように見えます。
港区女子も同様に、待ち受ける苦悩を自覚していないところがあります。
個人の選択が構造的に制約される仕組み
彼女たちは、自由な選択をしているように見えますが、実際には限定的な構造内での不自由な生活を送っています。
縛られているもの
魔法少女は「魔法」という力に縛られ、
港区女子は「お金と人脈」に縛られる。
自分自身で選んでいるように見えますが、
背景には「こうするしかない」という
”その場所ならではの構造力学”が働いています。
消費される存在としての立場
そして、最も重い共通点と感じたのは「両者は消費される側に回ることが多い」という部分です。
- 【魔法少女】魔女を倒すために戦い、次々と力尽きて倒れる
- 【港区女子】華やかな世界の象徴として賞味期限が来るまで消費される
港区界隈では25歳を過ぎると”おば認定”されるなんて聞いたことがあります。
行ったことないから、真実は分からないけどね。
世間的に見ると、25歳はまだまだ若いけどな。
「その界隈」においては賞味期限がくる年齢なんだね。
魔法少女は、いずれ魔女となります。
その魔女は、これまで自分たちが倒すために挑んてきた存在です。
魔法少女たちが、命懸けで倒してきたものは、
過去の自分たちの残像のようなものでした。
負のループを生む社会構造

「憧れ」の再生産と競争の激化
魔法少女も港区女子も、憧れに引き寄せられてその世界へと足を踏み入れていきます。
そんな彼女たちのキラキラしてるように見える姿は、周囲に新たな憧れを生みます。
そうして、また新たな参加者が引き寄せられてくるんです。
このように、同じ道をたどる少女がたくさんいるんです。
だから、界隈内の競争は激化し、自己消耗のループが強まっていく。
心身ともに、疲弊してしまう環境です。
自己責任論により抜け出しづらい構造
現代は、「自分が好きで選んだんだから仕方ない」という自己責任論が強いです。
まどマギの作中でもキュウべえが、
「君が選んだんだよ」と言うシーンがあります。
自己責任だと告げているのです。
本当に自己責任?
自己責任の部分ももちろんあります。
しかし、契約時に代償があることを、少女たちに忠告してるようには見えないんです。
きっと聞けば教えてくれると思います。
ただ、そもそも危機管理能力もない少女たちなので、
事前に確認することは難しい話です。
それでも、社会は、キュウべえは、
「自己責任だ」と突き放してきます。
憧れのエネルギーは強大
そもそも、強い憧れがある少女だからこそ契約しようと思うんです。
憧れに対するいい部分しか見えておらず、
それを手にすることだけで気持ちがいっぱいです。
港区女子の欲してるキラキラした世界に、
全ての少女たちが憧れるかと聞かれるとNOです。
ただ、そこには、キラキラした世界に対して強い憧れを抱く子たちが引き寄せられてしまう構造に。その強い憧れを持っている子は、逃れることが難しい仕組みになっています。
それほど、憧れが生み出す気持ちのエネルギーは強大だと分かります。
最終的に、社会は「本人たちが好きで選んだのだ」という形を取ることができます。
「知らなかった君が悪い」
「聞かなかった君が悪い」と
自己責任が問われるため、
本人の努力不足とされる。
そのため、本人が失敗だと気づいた頃には、救済する方法がなくなっているのです。
個人の消耗と入れ替えの可能性
魔法少女が懸命に魔女を倒そうと、
新たに魔法少女もは生まれる
そして、魔女も生まれます。
常に自分の替えとなる存在は簡単に現れる。
そんな世界です。
個人の心身消耗はとても大きなものです。
魔法少女として扱われる存在である限り、
長期的な心身の安定は望めないんです。
それは港区女子も同じだと思います。
「契約」という構造の本質

自由に見えて、実は枠の中
これまで説明したように、魔法少女も港区女子もある構造の中に閉じ込められている状態のため、本人たちは自由を失っていきます。
きっと、魔法少女なんて知らなかったときの方がよっぽど自由だったはず。
港区女子も、普通の女子として過ごしていた時期の方が、自由だったんだろうなと思います。
与えられる報酬と見えない代償
魔法少女に関しては、作中で代償の部分も描かれています。
しかし、港区女子に関する代償は見えづらいです。
- 【報酬】お金、人脈(この世界でしか得られない高額な報酬、普段出会うことのない人脈)
- 【代償】精神的孤独、身体的消耗(多量の飲酒・性交渉)、社会的スティグマ(レッテルを貼られ偏見を持たれ続ける)
このように、代償の方が長く深く影響することが多いんです。
そして、この過去を消すことは出来ない。
過去を隠すことはできます。
しかし、その環境から受けた影響から抜けることが難しいのです。
なぜ抜け出せないのか?
魔法少女たちは、魔法少女であることに誇りを持つようになっていきます。
港区女子も、
私は、ここにいることに価値がある。
そんな私に価値がある。
と自己価値を見出すようになっていく。
自己価値の大部分が、港区女子に由来してしまうと簡単には抜け出せない。
社会が映し出す虚像の正体

マーケットがつくる「夢」
ブランドやラグジュアリーな生活というのは、
市場が作り出す「夢」であり、
それを消費すること自体がビジネスの一過程です。
消費してくれる人がいて初めて、ビジネスとして成り立つ。
多くの人が「夢・憧れ」と感じてるものはその商品の一部です。
ただし、悪ではない!
ここで、補足となりますが「商品自体は悪ではありません」
あくまで商品なだけ。
メディアが拡張する幻想
メディアやSNSは、それを拡張することでより多くの人を惹きつける役割を担っています。
それを宣伝する媒体が悪か?
と聞かれると、これもまた難しいです。
娯楽を宣伝する役割の1つなだけ。
その媒体によって救われている人だってたくさんいます。
では、何が大事か。
虚像が含まれていることに気づいているかどうかの差が大きい気がしています。
誰が得をしてるのか?
では、そういったビジネス構造を作りだした人だけが得をしてるのか?
資源として消費される側は損なのか?
そんな疑問が浮かぶ人もいるでしょう。
僕ねぐちは、じゃあ誰が悪くて・誰が得をしてるの?と感じてる時期がありました。
最近では捉え方が変わってきます。
作り出した側も、消費者側も、
どちらも得をしていますし、
損もしています。
損得の内容が異なるだけ。
魔法少女や港区女子たちも、本来は持ってない力・できない生活を手にしたという『得』をしています。
キュウべえ側は「憧れから生まれる彼女たちのエネルギーを貰った」という得をしてる。
立ち位置が異なるだけなんだね
構造から距離を取るために

見抜くという視点を持つこと
構造を見抜く視点は必須です。
- 誰が何を作っているのか
- 何のために作って、誰が得ているのか
- 自分は何を得ているのか
- 自分は何を作ることができるのか...
こういった疑問を持つことは、
自分の人生を守る第一歩。
身を守るための必須スキルです。
学校では教えてもらえない部分なので、生きながら感覚を掴む必要がありますね。
自分の価値を契約に委ねない
また、個人の価値を”外部評価や他者との関係性に委ねないこと”も大切です。
自分自身の価値を、
他者評価に紐づけてしまうと、
消耗ループから抜け出せない。
つい、契約してしまいたくなりますが、
本当の意味での自己価値は、
自分の中でしか創り出せないと知りたいです。
別の生き方を設計する視点
今は「それが全てだ」と感じてしまうかもしれませんが、外にも多くの選択肢があります。
自分の中で「自分の価値を見つけていくこと」は、正直難しいことです。
しかし、無理ではない。
難しいからこそ、出来た時の達成感は「他者評価から得たものとは比にならない」です。
そして揺るがない、自信になる。
そんな生き方をしようと決意して、どうにかキュウべえから距離を取って欲しいと願うねぐちでした。
それでは本日は以上です。最後まで、ご覧いただきありがとうございました!