ソファに座りうつむく人物。感情労働の偏りや段階の差をテーマにした記事のアイキャッチ画像。

THINKING 心理研究

見えない感情労働はなぜ偏るのか|相性ではなく段階の差という視点


見えない感情労働とは何か

鉛筆で描かれた目のスケッチと文具。日常に潜む感情労働を観察する視点を表すイメージ。

日常に潜む「感情労働」

最近、ひとつの言葉が頭に浮かぶようになりました。


感情労働というものが、
私たちの日常生活に存在してるのではないか、
ということです。


家事でもなく、仕事でもない。
目に見える成果もない。


けれど確実にエネルギーは使っている行為。

  • 相手の不安を吸収すること
  • 空気を整えること
  • 衝突が起きないよう、先回りして言葉を選ぶこと


これらは作業として扱われることは少ないが、
人間関係を維持するために、
欠かせない働きのように思えます。





分かり合えなさが生む、関係の軋轢

ただ、この労働は理解されにくい。


やっている側には、はっきりとした消耗があるのに、
やっていない側にはそもそも見えづらい。


それが労働だとすら、認識されないこともある。


だからこそ、関係に軋轢が生まれるんです。





分かる人には分かる、この感覚

分かる人には、すぐ分かる。


しかし、分からない人は本当に分からない。


自分がやっている側だと思っていたのに、
実は別の場面ではやってもらっていた。


そんなこともある。


こんな認識の差が、静かに関係を歪ませていく可能性があるのではないか。


そんな仮説を持つようになります。






なぜ処理する側だけが疲れるのか

非対称性

重なり合う角丸四角形の線画。関係性の中で生まれる非対称な負担構造を表す抽象イメージ

そもそも「不安の感じやすさ・自分の感情処理力」には、かなりの個人差があるようです。

ある関係においては、
片方が「処理をする」
もう片方は「軽くなる」
そんなエネルギーの流れが生まれやすい。

結果、エネルギーの流れが、
一方向に固定されやすい。



互いに相手の処理をして、
互いに相手に処理してもらうこともある。


そんな対称的な関係が好ましいが、
やはり、個人差があるため難しい。


そのため、ほとんどの対人関係で非対称性が生まれている






可視化されにくい

重なり合う有機的な曲線の線画。感情の絡まりや可視化しにくい負担を象徴する抽象イメージ。

家庭内では、仕事・家事などの役割分担の話をしやすいです。


それらを役割として認識し、
やるべきこととして捉えてる人が多いから。


当事者意識があります。


さらに、誰がどれだけやったのかを、
可視化しやすいという特徴もある。


ただ、今回話してるような感情労働は可視化することができません


感じ取れる者が言語化して、
伝えるしかないんです。


そして、それは、
家事や仕事のように数字として結果は出ないし、
完了というチェックをつけることもできない。

負担は確実に偏っているのに、
感じ取れる側だけが続けて、
気づいてももらえることもないのに、
やり続けるという歪んだ構造になりやすい。



そんな関係が続くと、相手に対する見方が変わるのは自然な流れだと思います。







「できる人」に役割が固定される

重なり合う四角形の線画。役割や立場が交錯し固定されていく構造を表す抽象イメージ。

最も痛手となるのが、感情処理が得意な人に役割が固定化されやすいところです。


「あの人がやること」として、
コミュニティ内や対人関係の中で
役割が固定化されてしまう。


そして、固定化された人が、
その役割を放棄しようとすると、
相手は違和感を持ち出す。


優しくない、
冷たくなった。


その人に対する”人格や性格の見方”が歪んでいきます。


だから、役割を降りることが難しくなる。


さらに役割が固定化されていくという悪循環が生まれます。






能力の自動化

ちなみに、感情処理が得意な人は、
「優しさだけでやっているわけではない」


ここが注意したいところです。


感情処理力が高いからやっているだけ。


できるからしてるだけなので、
処理という表現が一番近い気がします。


相手に対して、好意があるからではなく、
人格が良いからしてるわけでもない。


ただ、自分がやる方が話が早いからやっているだけ。


能力を自動化してるような状態。
少なくとも、私はそうです。


だから、別のコミュニティに入れば「やってもらう側になること」だってあります。


相手によって、使うか使わないかを
無意識のうちに変えていました。






相性の問題なのか

私が「感情労働に対する負担感があること」を相手に伝えたことがあります。


相手からは「それは相性の問題だからどうしようもないのでは?」と返答が来ました。


こういった感情処理力の違いは、
相性の問題として取り扱うことができるのでしょうか?


価値観が違う?

感情処理力の差というのは、
価値観の違いではない。

スキルの差だからだ。


価値観は、個人個人の判断・評価基準を示す部分。
スキルの差を示す言葉ではない。


だから、価値観の違いとはいえないような気がしてなりません。




性格が合わない?

重なり合う多角形の線画。相性や関係性の構造を問い直す象徴的なイメージ。

その時期の、その状態での、
その条件下での、役割として
どう機能してるかです。


感情処理力の差が近しいことを、
相性として判断することはできそうではありますが。


なんとも言えません。


ただ、その回答をする人は、
ずっと、自分の感情処理力を上げるつもりがない人に見えます。





段階の差という仮説

上へと続く螺旋階段。段階の違いや成長過程を示す象徴的な写真。

段階の差とは?

相性の問題ではなく、「段階の差による」問題に見えてきました。


同じぐらいの感情処理力を持ったもの同士の関係であれば、そもそも偏りは起きなさそう。


性格や気質が異なっても問題はない。


感情処理力の段階が同じ人同士であれば、
関係の歪みは起きづらいと思う。




自分の感情を言語化できるか

まずは、自分の感情を言語化できるかが重要だ。


不安を感じている、
悲しいと思っているなど、


自分自身が抱いている感情を、
自分自身で言葉にすることができるでしょうか。


拗ねたり、不機嫌になったり、
態度で示すのではなく、
言葉にする力があるか。


それを、相手に歪めずに伝えることができるか。





自分で処理できるか

どちらかといえば、
ネガティブな方の感情処理力の方が、
差がつきやすい部分だと思います。


嫌なことがあっても、自分の中に留めてみる。
自分のなかでコントロールする。


相手にぶつける前に、攻撃的でない範囲の形に変えてから、出力する。


自分の内側で整えることができるかは、
人によってかなり差が出る部分。






他人の感情を分けて扱えるか

他人がどう感じてるか、
その感情を自分のものとは別物だと、
切り離して考えることができるか。
これも重要な感情処理力。


相手が怒っていると、
自分もイライラしてくるとなると、
他人の感情の渦に飲まれやすくなってしまう。


相手は相手、自分は自分。


そんな姿勢を持ちながら、関係を維持することができるようになると安定した関係が築きのでしょう。





優劣の差ではなく、経験量の差

このような部分に、差があるのは優劣の違いではない。
圧倒的に経験の差です。


いつから、やってきたか。
どれだけ訓練してきたか。
その差が、如実に現れるだけ。


その人の優劣を決めることはできません。


練習量のようなもの。


それは、置かれていた環境や、
選んだ環境に大きく左右される。


確かに、その人の気質も少しは関係しますが、
誰もが、確実に伸ばすことができる部分。



多くの人が、後天的に伸ばしていける力です。

相性の問題と片付けるのは簡単だ。

でも、もし段階の差だとするなら、
必要なのは断絶ではなく
調整なのかもしれない。

そして、この構造は夫婦だけの話ではないように感じた。




そして、この感情処理の差は、
個人の問題というより、
育ってきた環境や文化とも深く関わっているように感じ始めました。

  • この記事を書いた人

ねぐち

ついつい人の悩みや選択の背景にある「構造」を考えてしまう鳥です。 感情と論理、どちらも踏まえた上で、納得できる理解を大切にしています。 「理解すること」が人生を楽にしていく流れを、ここで記録中。

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