みなさん、こんにちは!バードセキュリティのねぐちです。
気づけば、僕はずっと数字を追いかけて生きてきました。成績、点数、順位、体重...
これって分かりやすい指標で安心感が強いのですが、数字が落ちると一気に自信を失ってしまうという負の側面があります。
数字を追いかけた学生時代〜20代前半、そんな僕が陥ったのは「摂食障害」でした。
数字に支えられる自信は脆く、儚い。同じような生き方をしてきた人も少なくないはずです。
皆さんは本当に自己肯定感が高いですか?
なぜ人は数字で自信を測るのか

社会が与える分かりやすい評価軸
社会には分かりやすい評価基準として肩書きやステータスがあります。これらは立派な評価の1つ。入社・入学・転職・結婚...などあらゆる面で問われる「条件」として機能しています。
- 成績(偏差値・順位・総合点数など...)
- 年収
- フォロワー数や登録者数...
現代では、SNSフォロワー数なども評価基準の1つとなってるよな。
こういった数字が高いと、人生で有利になることは事実。
そのため、多くの人が良い結果を出そうとして頑張ります。みんなが欲しいものですよね、僕だってほしいです。
努力が「数値化」される快感と依存
そういった、数字で高い結果を出すことができると嬉しい。そのため、快感も生まれます。
「自分が認められた」という承認欲求が満たされることに。社会的評価に基づいた数字のため「いろんな場面で通用する自信」にもなります。
初めて会う人すら「すごいね」「立派な人なんだね」と言ってくれる。そんなアイテムにいつの間にか依存してるケースが多いです。
数字の上下で生まれる「安心と不安」
僕は学生時代の頃、成績はかなり良かった方だと思います。保育園の頃から就職するまで「ずっと褒め続けられていた」部分です。
自覚はなかったですが、優秀な方だったんでしょう。そんな僕に暗雲が立ち込めたのは新卒の頃。
偏差値や順位といった数字がなくなり、社会人として働き出した僕には「何の数字も与えられることがありません」でした。
そうなった僕は、いったい何を評価軸として自分に価値を見出せばいいのか分からなくなってしまいました。
自分はこれで大丈夫。と思える指標がなくなってしまった感覚。
何か、僕に追いかける数字をください...!
失敗談「数字に支配されていた20代前半」

何かを追いかけて成果を出すことでしか自信を持ったことのなかった僕は、路頭に迷ってしまいます。
そこで、体重にこだわることにしました。
その結果、摂食障害に。過食嘔吐や過度な体重制限を課すようになっていきます。
体重という”数字”への異常な執着
唯一、自分自身でコントロール可能で社会的にも意味がありそうな「見た目=体重」という部分に異常な執着をするようになっていきます。
その沼は大変深く、抜け出すのが本当に大変でした。
100g単位で管理する日々
目標体重を今以下に設定したことで、現状維持すらNG。毎日、100gでも減少することと目標に暮らしていました。
その減少させることができた体重(=数字)が今日の「自己評価」としていたんです。なんか数字での結果を出さないと自信を持つことなんて出来ない、そう思っていました。
SNSやブログでの一喜一憂
最近では、Instagramで表示されるインサイト(リーチ数・閲覧数・フォロワー数...)の数字に一喜一憂してる自分がいることを発見。またも新たな数字を見つけて依存してしまうところでした。
これまでの生き方の傾向から、自信を実感するために一番有効的かつ早い手段と思ってしまっています。
しかし、こういった数字に頼っていてはいつか壊れることを新卒時の僕がよく知っている。だから、別の方法で自信を持っていくべきだと改めて感じたので考えることにします。
数字では養われない「揺るがない自己肯定感」

数字の自身は、脆く・儚い
「数字の自信」最大の問題点は?
脆く儚い自信しか持てないことです。
学生時代の話でいうなら、その期間だけは成績という部分に自信を持つことができる。別の場面に変わるとその自信は一気になくなり、簡単に消えてしまうということ。
とても限定的な自信となります。人生という視点で考えると、数字の自信に頼り続けるのは限界があることを意味してました。
数値は変動するため、心も変動する
また、順位や点数はその度に変わる変動的なもの。それとともに自分への自信も変動することになるので不安定ですね。
少しでも結果が出せないようになると、ガタガタと自信を失ってしまうことになります。取り乱してしまいます。
社会人になりガタガタときた理由
- 学生時代は大きく順位や点数が変動することなく安定していれた(本当はいつ崩れてもおかしくなかった)
- 体重はある程度まで落ちると減らなくなる(そのことに焦りを抱くようになり取り乱すことに)
結果を出せなくてもOKと言えたら
数字を追って結果を出すことでしか自信を持てないでいると、結果を出すことができなくなったときに確実に病むことに。だから、結果が出なくても「まぁいいじゃん」と言える自分になることが本当の強さのような気がしてきんです。
できな自分でもいいじゃないか、そもそも何故できると思っているんだろう。できないことだって自分にもあるはずだよ。
その視点からでも自分を肯定することができることが「本当の自己肯定感なのでは?」と感じ始めます。
本当の自己肯定感とは何か?

成果は関係ない!自分で自分を尊重する力
僕が大事だと思うのは、結果が出せない自分でも「自分は大丈夫だよ」と尊重する力です。
これが最も難しい。いまだに、ブレちゃう日があるのが本音です。
できる自分を認めるって簡単なことだよね?
自己肯定感が必要になるのは、ダメだったとしても「今回はダメだったけど、まぁいいじゃん、次に頑張ろ」と思える力です。
数字が動かなくても揺らがない安心感
失敗は失敗としてありのまま受け止めて、それでもまぁいいじゃないと言える力が必要。開き直ることもせず、過剰に評価することもなく、見なかったことにするとか逃げることもしない。
正面から直視して、受け止めても、また次に頑張ろうと前を向く力。これが自分を尊重できている姿のような気がします。
だから、成功して結果を出したとしても「そういうこともあるよね」ぐらいに舞い上がりすぎたり、つけ上がらないことも必要になりそうですね。
自分の存在と行動を分けて認められること
結果が出せないからといってダメな鳥になってしまうわけではありません。だからといって、僕の存在が無価値になるわけではない。
今回の行動は良くなかったけど、自分を否定するまでのことではない。そうやって、自分の存在と行動を分けて考えることを意識しようと思います。
自分を俯瞰する難しさ
他人が同様の悩みを抱えていたら、きっと「気にしなくて大丈夫だよ」と声をかけてあげることができるでしょう。
しかし、自分には言えない。それはその自分じゃないと、価値がない(=肯定できない)とどこかで感じていたからです。
そんなものなくても、何か成し遂げなくても「僕は僕のままで大丈夫だから」
エリート男性ほど聞いて欲しいこと

そんな結論に辿り着くことができて、やっと落ち着いた生活を送ることができるようになってきました。
そして、また1つある気づきが。この罠にはエリート男性ほど陥りやすいのではないだろうか?と。
社会的評価の軸で自信を持ってきた人ほど要注意!
学歴、運動神経、年収、業績、などあらゆる場面で好成績を収めることが出来てきた人ほど、数字で自信を持っているケースが多いです。
失敗したこと自体も多くないため、「ダメな自分」に打ちひしがれる経験も少なく、30代・40代になり、突然「あれ?」となる人も。
とくに男性は競争社会を生きるケースが多いです。結果をシビアに求められる場所に身を置いている人ばかり。
俺は大丈夫、が危険なサイン
俺はそんなことない。と思っている人ほど、ガタガタと行きます。
過去に、挫折しながらも乗り越えてきた経験があれば大丈夫です。その時に、別の結果で自信を取り戻すのではなく「ダメな自分でもいいか」と思って乗り越えてきた人は問題ないでしょう。
ただ、出来る人ほど他の結果を出すことで挽回しようとしがち。
仕事、家庭問題、自分のキャリア...とあらゆる場面が八方塞がりになった時に一気に自信喪失へつながります。
数字がなくても自信を持てるようになれたら
結果を出せること自体は本来いいこと。そのために努力できることもいいことです。
問題に発展するのは、結果が出せない時の自分を認めてあげられないこと。
それもできるようになった時、本当に揺るがない強くタフな心を持った人になれそうです。そんな人が自己肯定感の高い人と言えるのではないでしょうか?
それでは本日は以上です。
最後までご覧いただきありがとうございました。