みなさんこんちは、バードセキュリティのねぐちです!
先日、入院費用の返戻金が思わぬ形で戻ってきたんです。
「ボーナスみたいだね!」と喜んだ僕たち。
たにくんのお小遣いを少し足そうと思っていた矢先、口論が始まってしまいます。
きっかけは些細なこと。
けれど、本当の揉めた理由は
「返戻金」そのものではありませんでした。
問題は、自分の非を認められるかどうかだったんです。
夫婦喧嘩から発展した、非を認めないことの問題点の話。スタートです!
きっかけは返戻金のやり取りから
記事の要約:「非を認めない心理が人間関係を壊す構造の話」

思わぬ入金に舞い踊る、僕たち
窓口での医療費負担が払い過ぎだったらしく、返戻金が戻ってくるという朗報が入ります。
たにくんの給料口座に振り込まれていたことから発覚しました。
連絡をくれた谷くんと一緒に大はしゃぎしていました。
そんな嬉しい展開だったので、
今月分のお小遣いを増やそうかななんて考え始めます。
僕たちは歩合制のお小遣い
突然ですが、僕たちの家では「歩合制のお小遣い」を採用しているんです。
歩合制のお小遣いって?
一定額以上の収入から超えた金額
その◯%分の金額を本人のお小遣いとする
会社員ですが、やった分だけ手取りが増える給与スタイルです。
働いた分が本人のお小遣いに反映されないとやる気がないはず。
だから本人にも、しっかりと還元されるようにしてるんです。
そんなたにくんが、あることを言い出します...
今回は何%反映されるんですかね?
ん?返戻金なだけで収入の一部ではないから計算はしないんじゃない?
【一触即発】それどういうこと?
僕は、あくまで窓口負担をしすぎてた分の医療費が戻っただけだから「手元にあったはずのお金」という解釈。
それを説明して、谷くん側の意見も知りたいので聞き返しますが...
なにかを誤解していたらしく...
話をのらりくらりと交わされ、
論点をすり替えたり、
歯磨きを始めてその場を去ったり、
最終的には「ねぐちが責めているとは思わないようにする」などと言い出す...
なんだかバツが悪そうな雰囲気です。
ここからねぐちが大爆発します。
何を僕のせいにしてくれてんだよ。
最大の問題は「非を認めない姿勢」

そんなことから夜中に口論が始まった僕たち。
問題は、返戻金をお小遣いとして計算しようとしたことではありません。
彼が、些細な非を認めない姿勢なんです。
会話中の違和感
- 論点をすり替える防衛反応
- 悪く思われたくないという自己防衛
- 無意識的な撤退行動(逃げようとするサイン)
- 被害者ポジションへの転換
これまでも同じようなことが原因で、揉めることが何度もありました。
だから自覚してくれないと、今後も繰り返し揉め続けることになるんです。
僕にとっては、それが最も嫌な展開。
そして、僕は、こういった部分が気になってしまうし、スルーすることが苦手な鳥です。
そこにプライドがあるんか?
そもそも、どうして「間違いを認めない」「論点をすり替える」などの行動になるのでしょうか?
そこには、何かしらのプライドがあるように見えてなりません。
「プライド」という言葉で簡単にまとめてしまうと問題の本質を見失いそうなので、言葉にしてまとめていこうと思います。
- 【知的優位性】自分は賢いと思われたい
- 間違いを指摘される=自分の論理が破綻していたと認めることになり辛い
- 知的な男でいたいというアイデンティティがある
- 間違えたことだけでなく、存在自体が否定されたと感じやすいことも
- 【立場優位性】支配・主導を手放したくない
- 関係性の中で、自分の方に主導権を置いておきたい
- そんな自分に価値があると信じる
- 【自己否定の回避】間違えた自分を嫌悪する
- 間違えた自分を受け止める耐性が低い
- 間違えた=ダメな自分と認識してる
自分のありたい立場や像を守りたいがために起こる反応なのかな、と感じました。
正直、僕自身にも当てはまる部分がありそうです。
すり替えと被害者モードの構図

今回の件から、「どんな人間関係にも潜む”論理のすり替え”と”自己防衛反応”の縮図」が見え始めます。
ここから少し、人の心理構造の話に入っていきます。
論点のすり替えは「防衛反応の一種」
人は責められたと感じた瞬間に、心の防御スイッチを入れます。
それは攻撃ではなく、
心理的な防衛反応のひとつ。
例えば、今回のたにくんのような、
「ねぐちから責めていると思わないようにする」
という発言は心理的な防衛反応のひとつです。
しかし、その瞬間に問題の軸は”事実”から”感情”へとすり替わってしまいます。
この構図の厄介な点は、どちらも、
それぞれの正しさを主張し続けることができる点にあります。
だから、なかなか口論が終わりません。
どちらも自分は悪くないのに...
と思い続けることができてしまいます。
自分の非を直視する力を失うことに
論理のすり替えをする防衛反応は、自分の心を守るための一時的な避難場所のようなものです。
それを一時的に利用するのはいいですが、
会話内で、常に使うようになっていくと
「自分の非を直視する力を失う」ことになります。
「自分は悪くない」
「自分には非がない」
それは、自分自身を改善するきっかけを失うことになります。
被害者モードに突入
その他にも、責められている、
可哀想な立場にいる自分と思うことで
自分の加害的な一面から目を逸らすこともできます。
相手の加害性を責めることができるポジションは、非常に便利です。
その言葉を発した瞬間に、話の主導権を奪い返すこともできます。
気付かぬうちに、指摘されていた事実がどこかへ消えていくことに。
被害者ポジションが原因で奪われる成長の機会

被害者ポジションが生む「新たな加害」
被害者の立場を取り続けることで反省しないまま相手を攻撃する構図ができる。
その人は、ずっと精神的な成長をすることはなく停滞したままになるかもしれません。
- 「自分の非を認めない」
- 「自分の心を守るための行動」
そんな心の守り方をしてしまうと、自覚のないうちに加害してる側になる状況なので相手との関係性が良くなることはありません。
自分が変わるしかないのです。
若いうちは許されても、
突然許されない年齢が訪れ、
周りの人が離れていくかもしれません。
最終的に、辛い状況に陥るのは「自分自身」です。
実は周りがかなり迷惑をしてる構図
被害者の立場にいると、なぜか自分は安全だと錯覚してしまいます。
でも、その守りの姿勢が長く続くほど、
実は相手を傷つける構図が生まれていたりします。
例えば、今回のように谷くんが責められていると感じると言った瞬間から、その言葉には、無意識のうちに「君が悪い」「君の言い方が攻撃的だ」というメッセージを含むことに。
つまり、被害者である自分という立場をとることで
結果的には相手を加害者に仕立て上げてしまうんです。
あくまでも、これは意図的な攻撃ではありません。
自分を守ろうとした結果、
相手を傷つける側になっていたという状況です。
しかし、何度も被害者ポジションに回る構図が続くと、何を言っても・どう伝えても責めていることにされる展開になり、対等に話すことは不可能になっていきます。
目指すのは「責めを受け止める力を鍛える」こと
ほんの少しの出来事でも、
自分は悪くないと思うことは可能です。
簡単に、自分の気持ちを安心に持っていくことはできる。
しかし、一方で「確かに自分にも非があったかも」
と見つめ直すことができる人は
少しずつ変化していくため数年後、
数十年後には大きな成長をしている。
自分の非を認めることは一瞬のうちは苦しさが伴うかもしれませんが、長い目で見ると苦しむのは「非を認めずに誰かのせいにし続けた方」です。
被害者でい続けることは、加害者になることと紙一重なのかもしれません。
自分が責められない場所で生きるより、
責めを受け止められるスキルを積む方が、
きっと楽しくて自由な生活になります。
ついつい楽な方に流されがちすが、
長い目で見たときの楽しさを取る生き方の方が、
僕は得な気がしています。
次回は、自己防衛がどのように成長を止めてしまうのか・どうすれば成熟という形になっていけるのかを考えてみることにします。
それでは本日は以上です。最後までご覧いただき、ありがとうございました!
※この記事は当時の感情と視点で書いた記録です。現在は「段階の差」や「感情処理の構造」という視点も持つようになりました。