住宅購入で見えたものVol.2|選択の背景にある感情や見栄、比較意識について考察する記事のアイキャッチ画像

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なぜ人は少し背伸びした選択をしてしまうのか|住宅購入で見えたもの②



前回の記事で、変動金利上昇をきっかけに住宅ローンと家計管理の見直しをすることにした"ねぐち”。


自分たちの家計簿は大きな影響がないことに一安心するものの、同じように住宅ローンを組んだ家庭に関する動画を見漁っていると、気になることが出てきてきます。


それは、住宅ローンの金額ではなく、
「どうして、その金額を借りることにしたんだろう?」という疑問でした。


本当に欲しいものを買ったのか、
それとも欲しいと思わされているのか。


人は、合理的に選択してるように見えて、
けっこうな感情が影響してることを、
自覚してる人が少ないのかもしれません。






私たちは、思った以上に「感情」で選択してる

他人との比較や社会的な見え方を意識する、人間の見栄や自己表現をイメージした写真

住宅購入は合理的判断に見える

巷で見かける住宅購入に関するトークテーマ。

賃貸派?持ち家派?
お得なのはどっち?
老後にいいのは?


そんな問いを立てながら会話をしていると、
合理的な考え方ができてるように見えます。


その他にも、

  • 予算
  • 立地
  • 広さ
  • 間取り
  • 金利タイプ

それぞれの数字を比較しながら最適解を考える。
だから、合理的な判断をした。


そんな感覚を持っている人が多いようです。
しかし、これらの選択には「感情的な面」が含まれていることをご存知でしょうか?






実際には大きく動いてる”感情”

では、どんな感情が含まれているのでしょう。

  • マイホームへの憧れ
  • 理想の暮らし
  • 素敵な生活をしてると思われたい


マイホームを買うという行動の背景には、
「買いたいと思った」理由があります。


「買わなくちゃいけないから、比較してコスパいい物件を見つけた」という人は少ないはず。


だって、絶対に買わなくちゃいけないものではないですから。






感情で選ぶこと自体は悪くない

そんなことを言いながらも、僕たちもマイホームを買った側の鳥。
もちろん、感情がありました。

「大きな犬を飼いたい、そのための家が欲しい」
「自分の家・居場所が欲しい!」
「お気に入りの仕様に仕上げたい」

インスタントコーヒーの瓶上に乗っているオニオオハシのぬいぐるみ”ねぐち”の切り抜き写真。



僕の理想や憧れがメインではありますが、
しっかりとした「欲」がありました。
そして、そのことを自覚もしていました。


他の人だって、きっと同じです。
僕と同じ理由の人もいるかもしれないし、
また別の感情を抱いていた人もいるでしょう。

違和感を感じたのは、
感情を伴ったマイホーム購入ではなく
「どんな感情が自分の選択に影響してるか」を知らないことです。

その感情の中に、「見栄・比較」などが隠れている人が多い気がしてきた...
そして、本人たちは無意識に選んでるかも。








社会性があるなら反応する「自然な見栄」

周囲の選択やSNSの情報を参考にしながら、自分の価値観を形成していく人々の様子

人は社会的な生き物

そもそも人間というのは、社会的な生き物です。
群れをなして、所属し、人との関係を持つ中で暮らす。


そんな人間にとって、周囲の人との関係性や見られ方を気にするのは自然な反応と言えます。





同級生のお財布事情が気になる理由

また、自分がその群れの中でどんな立ち位置にいるのか、
優れているか?劣っているか?などを確認するために、
自身と近しい条件の人間との比較をしがちです。


そこで登場しやすいのが同級生・同期・同僚などの、
同一のミュニティ内で、同じ時間を過ごすメンバーたち。

  • 自分は遅れていないか
  • 自分の選択は間違ってないのか?
  • 今の生活は幸福なのか?


そんなことを比較することで、「自分は大丈夫か」と確認したくなる瞬間が出てきたりします。






見栄というよりも「位置確認」

人と比較することを「自己価値を感じる方法」として使っているため、
見栄を張ることで「自己価値」をより高く演出したりすることも。


そんな生き方をしてると、無意識のうちに「見栄だけで」意思決定していたりします。
この人にこう見られたいから、この中で一番になるために、など。


一定の見栄を持つことはコミュニティ内で生きるために必要なことですし、
社会性のある人間としての自然なリアクションとも言える。



ただ、自覚もないままに見栄だけで決めてるという状態が危険なことはたしかのようです。






いつの間にか作られる「相場感」

自分の本当の欲求と社会から影響を受けた欲求の違いを考えるシロクマの写真

◯人家族な適正はこれぐらい

実際に家づくりをしてみて、わかったことですが、
検索すると「適正サイズはこれぐらい」「借入額は年収の7倍」などと
いろんな「適正を示すフレーズ」が出てきます。


平均値はあるかもしれませんが、
適正値は、その家庭によって、
何を大事にするかの優先度によって変わるのが現実です。

  • 35坪
  • 子供部屋あり
  • 駐車場2台分

自分たちの基準を、自分たちで決める作業の方が重要だと感じます。


【例えば?】僕たちの基準の例

僕たちは、子供を産むかもしれないし、
産まないかもしれない。という未確定な状況。
だけど、子供部屋は設けませんでした。

各自の部屋は作ることに。
万が一の場合は、そこを子供部屋に改造する。
ふたりは今ある現実の中で、
最良の選択をする傾向にあるようだね。





理想の暮らしで溢れるSNS上の暮らし

また、今はSNS時代。
InstagramやPinterestなど、画像投稿がメインのSNSでは多くのマイホームに関する発信があります。


そこには、魅力的な家ばかりが並んでいるんです。

  • おしゃれな家
  • 広いリビング
  • 整った収納


手軽に検索できる。
実際に誰かが住んでいる。
自分と同じような家族構成の家...


毎日SNSを見る習慣のある人は、
それにより基準が出来上がり、
それが相場感覚となっているように思います。


これは家だけではありません。
美人の基準・可愛いの定義なども形成されていたりします。






その理想は本当に自分にとっても理想?

欲しいと思った理由を辿ってみましょう。
本当に、自分が欲しいからでしょうか?
僕はそこが気になって仕方ありません。

とある友人の話...

20代前半のその友人は、「将来結婚するなら"一緒に過ごす時間が長い”旦那さんがいい」と話していました。


けど、数ヶ月後に主張は一変。
よく考えたら、そんな男性が素敵だと周りが言うから、
自分もその男性が良いと思っていただけだったと漏らします。


そう。
みんなの理想は、
自分の理想ではなかったりする。


みんなが欲しいと言ってるから
自分にも魅力的に映ったり。


それは、自分で選択してるようでしてない。
判断基準が曖昧な状態です。


似たような現象が、家づくりでも婚活でも起きてるのかもしれません。

そして、その普及してる理想も周囲との間で作られた偶像のように感じてきます。

→【関連記事】女子会の毒に気づいてる?|恋愛や結婚が立ち行かなくなる原因







本当に欲しいものと、欲しいと思わされるもの

理想の暮らしや憧れなど、住宅購入の背景にある感情を象徴する花束を抱えた人物

自分の欲求は意外とシンプル

これまで話したように、自分の欲求というものに焦点を当ててみると案外単純なものだったりします。

ねぐちの場合

  • 犬を飼いたい
  • 庭が欲しい
  • 静かに暮らしたい

小学4年生の頃から変わりません。
ひとことで言い切れる、
そんなものシンプルなものが最大の欲求なのかも。

ちなみにまだ実現していませんが、
いまだにゴールデンレトリバーを飼うことが夢!







欲求の上に色々なものが乗る

ワンちゃんと暮らせるお家が欲しいという純粋な思いの他に、いろんな人間らしい感情が乗るんでしょうね。

  • 世間体
  • 比較
  • 見栄
  • 承認欲求

生活、人生、仕事...
いろんな場面で垣間見えるように思います。





混同してることを気づけるか?

本当に欲しいものと、欲しいと思わされているものを、
完全に分けることは難しいと感じます。


基本的に、純粋な思いも、見栄も比較も混同してるもの。


でも、どちらもあることを自覚しながら、
選択できるとできないでは大違い。


見栄や比較で選択したとしても、
一時的に手に入れることができても、
最終的には満足しない結果になる人も多い。


自分の純粋な欲求の方が、最終的には満たされたりします。






人生の選択をする時に考えたいこと

理想の暮らしや人生設計について立ち止まって考えることを象徴する広大な風景

その選択は誰のため?

自分、家族、世間...
果たして、日々の選択をどんな割合で決めてるでしょう。


実際には見栄や比較の影響が大きいように見えるのに、
「家族ためだけに」と説明されているケースも少なくない。


逆もいます。


自分を責めてしまう傾向のある人は、
実際には「みんなのためにしてるのに」


俺が欲深いからなんだよねと話す。
みんなの負の感情を背負ってしまう。







「なぜ欲しいのか」を問い直してみる

マイホームや車などの大きな買い物ほど、自身の判断基準を明確にすることは大切なことだと思います。


なぜ欲しいのか?
その買い物に何を求めているのか?


面倒ですが大事な作業。




見栄を否定するのではなく、理解する

見栄も感情の一部です。
何度も言うように、見栄があるのは構わない。


でも人生規模の選択となるようだったら
少し立ち止まってみたい。
自分の人生を守るための重要な力です。


気付かぬうちの見栄は、
自身の人生を壊しかねない。
壊す前に、気づきたい。



そう思ったねぐちでした。



おわりに

本当に欲しいものと
欲しいと思わされているもの。

その違いを完全に見抜ける人なんて、
ほとんどいません。

だからこそ、
「なぜ私はこれを欲しいんだろう_」
時々、その問いを自分に投げて考える時間は、
人生の大きな選択の時ほど必要だと考えます。

  • この記事を書いた人

ねぐち

ついつい人の悩みや選択の背景にある「構造」を考えてしまう鳥です。 感情と論理、どちらも踏まえた上で、納得できる理解を大切にしています。 「理解すること」が人生を楽にしていく流れを、ここで記録中。

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