住宅ローンの利上げ通知が届いてから、考え込んでいた”ねぐち”。
人はどうして家を買いたくなるのか?
それは、本当に自分が欲しいからなのか。
それとも、見栄や比較によって
「欲しいと思わされてる」部分があるのか。
前回までの記事では、そんなことをまとめました。
次に気になったのは、「"欲しいと思わされる"はどうやって形成されるのか?」という点。
どうして、欲しいと思わされるモノなのに
すごく欲してしまうのだろう。
そこについて、考え始めたようです...
私たちは「みんな」を見て安心する

人は比較する生き物
やはり人には社会性があるようで。
他人が気になるし、関心も寄せる。
どこかに属する感覚に喜びを感じる人も多い。
その中で、比較は自然と起きる現象だと思います。
自分の立ち位置を確認することも。
周囲との比較は、人間らしい反応といえるでしょう。
同世代が一番気になる理由
同級生、同期、兄弟、ママ友...
置かれている状況・条件が近い人ほど、
強い比較が起きてるように感じます。
それは、先ほども述べたとおり、
属するコミュニティ内での"自分の立ち位置"が気になるから。
比較は「安心」を得るためでもある
あの人よりは上。
あの子には敵わない。
そんな勝ち負けが比較の醍醐味?
そう感じていた僕ですが、
それだけではないと気づきます。
「だから、自分は大丈夫」
そんな安心材料として使っている人もいるようです。
僕はこの「だから大丈夫」を求めていました。
みんなと同じようにできてる!
という安心が欲しかったタイプ。
「みんなこうしてる」は本当か?

SNSは"現実の一部"を切り取っている
現代はSNS時代。
情報収集、発信、拡散など
ほとんどがSNS上で行われます。
ただ、SNSに投稿されている情報が
すべて現実とは限りません。
本人が撮りたい、載せたい、共有したい。
そう思った情報だけを見せているに過ぎない。
自分にとって都合のいい瞬間を切り取って発信しています。
偏った情報になっていることもあります。
そんなこと、頭では分かっているのに、
人間とは不思議なもので、それでも気になってしまう。
盛られた情報かもしれないと分かっているのに、
比較の渦へとハマっていきます。
人は、やっぱり少し背伸びする
同性には「ちゃんとしてる」「すごい」「羨ましい」と思われたい。
異性には「魅力的」と思われたい。
そりゃそうですよ。
そういうものだと思います。
自分の立ち位置を守るために、
少し背伸びをしてしまう。
見栄を張ってしまう生き物です。
孔雀が羽を広げて美しい羽を見せるのと同じことなのかな。
その情報から作られる相場の信憑性は?
ではもし仮に、ほとんどの人が、
自分の情報を少し盛ってしまうとします。
すると、どうなるでしょう。
少し盛られた情報が"普通として認識"されてしまうことに。
盛る程度も人によって違います。
1割ぐらい盛っちゃう人もいれば、
5割り増しぐらいしてる人もいる。
SNSで入ってくる情報は基本的に、
「本当の普通基準より高いものに」なりますね。
SNS上から、適切な相場を知ることは難しくなるでしょう。
そこは、こうありたいという願望がたくさん映されている場所だから。
ただどうしても、人はそれを「みんなの普通」として認識してしまう。
そんな投稿・発信を毎日のように目にしていると、
そうだと思っちゃうし、自分の現状への焦りも生まれやすい。
【図解】「普通」には3種類ある
現代の生活で入ってくる情報には、偏りがあるように感じたねぐち。
図解にして、どんなことが起きてるのか可視化することにしました。
まずは、以下の図解をご覧ください。
こちらには、あらゆるバージョンの普通を比較してみました。

- 本当の普通:背伸びや演出を含まない、ありのままの状態(リアル)
- 背伸びVer.:皆が少しずつ盛っている・見栄を含む状態(SNSやコミュニティ間の会話で見聞きする普通)
- 願望Ver.:さらに「平均より上でありたい」という願望が乗った時に目指すことになる普通指標。
簡易的になりますが、3つの普通があることになります。
ひとことで「普通」と言っても、
どれを指しているかは、人によって異なりそうです。
これが普通は「背伸びVer.」の可能性大!
多くの人の間で、背伸びVer.の普通が「大体これぐらいが普通だよね」という指標として認識さているように感じます。
実際には、背伸びした状態の普通なのに、
それが「本当の普通」と基準になることで
リアルとのギャップ「A(図解の示す)」が生まれる。
それが、人々の精神的な葛藤を生みます。
いろんなジャンルに存在する「普通」
住宅だけでなく、結婚でも、仕事でも、パートナーなど、
あらゆるものに「普通」という概念が存在します。
- 〇歳までに家を購入、出産しておく
- 〇万円の貯金があれば勝ち組!
- 〇坪以上の土地があれば戸建ては満足できる
たくさんの部分で、背伸びされた普通情報と自分を比較しながら暮らすことに。
悩みが絶えないのは当然です。
そして、普通より少し上でいたい私たち
それだけでなく、さらに問題を複雑化させる人間の性があります。
それは、「人よりも少し上の自分でいたい」と思ってしまうこと。
あいみょんの歌
あいみょんが歌う「夢追いベンガル」という曲に、
だいたい普通でいたいはずなのに、
普通より上を求めしまうしさぁ
という歌詞があります。
なんだか分かる気がします。
みんな普通でいいんだと言いながら、
実際には普通より上を求めてるところがある。
そうなるともう、本当の普通より、
かなり上のものを求めていることになります。
図で言うと、「願望Ver.の普通」を求めることになる。
リアルとは「A+B」分のギャップが生まれてしまう。
心理的に辛くなる人が増えるのも当然です。
だって、「本当の普通よりかなり高いものを手にしなくちゃ」と追われているんだから。
本当に欲しいものはなんだろう

みんなが欲しいもの、自分が欲しいもの
このように「普通」がどのように形成されているかを見ると、他人軸で、自分の目指す場所や欲しいものを決めるのがいかに危険か分かります。
仮に、背伸びVer.の普通を得ることができたとしても、
それはあなたの欲しいものではない可能性が高いから。
実際に手にしても、幸福度が上がらないこともあるんです。
それはみんなが欲しかったものであって、
自分が欲しいものではないことがあります。
友人の恋バナ
20代前半の友人は、「一緒にいてくれる時間が長い男性がいい」と話していました。
しかし、本人は頻繁に連絡を求めてくる人や、干渉的な人が苦手です。
よく考えてみると、「そんな男性が素敵だよね」と耳にするから、自分の理想になっていたことに気付いたと話していました。
彼女が本当に求めていた男性は、
それぞれの時間を好きに過ごしても
不満を言わない男性だったのです。
こんなふうに、みんながいいというものに
自分の理想を合わせてしまうと、
のちに、自分の首を絞めることもあったり...
住宅ローンのように借りている”幸せ”
他人基準の幸せの何が怖いのか。
これは、借り物の幸せということ。
自分の中で育まれた、培われた幸福感ではなく
他人との比較や、競争で感じることができる幸せだから、
誰かに負けたと感じた時、
その幸福度は返すことになります。
また、少し意地悪な見方をすると、
誰かを負けにすることでしか
自分の幸福を感じることができない。
だから、誰にも借りないで感じられる幸せが、
僕は欲しいなと思っています。
長期戦に向いてない”他人基準の幸せ”
人は良くも悪くも変わります。
自分もそうです。
人生は下がることも上がることもあり、
他人も下がることや上がることがある。
他人軸や比較にて幸福を感じる仕組みは、
長期的維持の面で限界があるんです。
だけど、人生は長い。
一瞬の幸福感は得られたとしても。
長い人生、ずっとそのやり方で保つのは不可能。
一切の比較をするなということではありません。
そこに、「長すぎる人生全体の幸福度」を賭けてはいけないと思うだけです。
自分の基準を持つ

やっぱり比較はしていい
やっぱり比較はしちゃうと思います。
しない方がおかしいし、
人には社会性がありますからね。
どうしてもしてしまうもの。
ただ、それをメイン軸としない。
サブとして使うぐらいの気持ちで。
大事なのは、メイン軸に「自分の基準」を持ってくることです。
自分の基準を検討したことはある?
みなさんは、自分の内側にある基準を検討した経験があるでしょうか?
誰かが言ってたからではなく、
あの子に負けたくないからでもない。
この中で一番になるためでもない。
自分がこれを良いと感じるからという基準について、
深く検討・比較をしたいものです。
この時の自分、あの時の自分
状況・年齢・環境など...
あらゆる場面での自分と自分を比較するんです。
僕はそのやり方が好きです。
いろんな場面での自分を比較することで、
自分の基準が明確になってくるから。
そんな作業が、「自己理解」と呼ばれるものなのかなと感じ始めた”ねぐち”でした。