「皮肉な人の"心の欠乏”」というタイトルテキストとロゴが書かれたアイキャッチ画像。右側にはオニオオハシのぬいぐるみがフローリング上に立っている写真

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【深掘り】皮肉を言わずにいられないのはなぜ?|攻撃の裏にある”心の欠乏”

皆さんこんにちは、バードセキュリティのねぐちです。

僕には昔から気になっている疑問が、それは「皮肉を言う人は、なぜストレートにいわないんだろう?」というもの。

僕は分かりやすい方がいい!と思う性格のため、できるだけ正確に伝わる具体的な言葉を選びがち。だから、どうして分かりづらい表現をするんだろうと不思議なんです。

そんな間接的な表現の背景には、皮肉を言わずにはいられない心の欠乏が見えてきたんです。




皮肉は感情のガードレール

「それは、ガードレール」のテキストメッセージとガードレールのイラストが描かれた画像。右上には、「心の防衛なのかな」とつぶやくオニオオハシのぬいぐるみ"ねぐち”の画像

皮肉の最大の特徴は、「遠回しな湾曲した」表現を使うという点。どうして直接言うことが難しいのか?

それは、直接言えるほど自分の心を守る機能が強くないからなんです。

【不安感】ストレートに攻撃できるほど強くない

実は、ストレートに思っていることを言うときにはいくつかの心構えが必要になります。

ストレートな表現で必要な心構えって?

  • 自分の言ったことが否定されるかもしれない
  • 自分の発言が受け入れられないかもしれない
  • 予想外の意見が出てくるかもしれない
  • この会話をきっかけに相手との関係が悪くなるかもしれない
  • 相手から嫌われるかもしれない...

など、はっきりと言うことをためらいたくなる不安がいくつも出てきます。しかし、自分の「言いたい!相手を否定したい」そんな気持ちを留めておいたり、自分の中で処理することができない。

そんな場合に、皮肉という間接的な攻撃性を孕んだ表現することを選んでしまうんです。

いわば、心のガードレール!





【承認欲求】間接的に行われる自己表現

必ずとは言えませんが、皮肉を通して伝える内容には「抗議」「願望」の思いが込められいてることが多いです。

「本当はそう思わない(=講義)」「私はこうありたい(=願望)」本心を自分の中だけでうまく処理することができないままだと、自分の心が溢れる可能性がある。

けど、自分の思いは認めてほしい。少し、屈折した形の承認欲求とも言えます。

「皮肉」最大の問題点

ただし、最大の欠点となるのが「相手を落とす表現」で自分の心を保っているという部分です。相手を傷つけること、相手を下げること、でしか自分の心を保てない構造は不幸の連鎖を招きやすくなります。

「自分を上げるために努力する・改善しようと試みる」という視点にいつまでもシフトすることができず、30代、40代、50代...と年齢だけ重ねていき心は未熟のままというケースが増えてしまいます。

そんな未来では、若い頃と違って許してもらえることはなくなっていくためいつの間にか周りから人がいなくなるという孤独な状況に陥りがちです。

やっぱり一緒にいると疲れちゃう人になりますよね。





【自己否定感】自分を自分で認められない

その他にも、自分のことを自分でOKと思えていないという自己否定感も強く存在しています。本来は意見が食い違っても、自分の意見が一人でも、問題はありません。

しかし、「自分はこうで、相手はそうなんだな」とそれぞれの感性や特徴、意見を尊重するのが苦手な彼らは自分のことを否定することに繋がっていき、より一層自己否定感が強まっていきます。

皮肉を言う人には、こういった漠然とした不安感・自己否定感・承認欲求が渦巻いてる状態なんです。





皮肉を言う人が抱える「心の欠乏」

「こころが満たされない」というテキストメッセージが書かれた画像。右下には体育座りをしてる後ろ向きの女性、左下には、ゴミ袋の上に仰向けで寝転ぶオニオオハシのぬいぐるみ”ねぐち”の写真

それにしても、なぜここまで不安を感じてしまうのか?それには大きく3つの欠乏感があります。


分かってもらえない前提での生活

自分の意見をはっきりと言えないという心理の裏には、「分かってもらえるはずがない、分かってもらえないかも」という前提条件が強く刻まれています。

おそらく、過去に自分の意見を否定された・批判された経験がある。その時の傷つきから、もう同じような思いをしたくないと自己防衛してしまう力が強く働いているのだと思います。



指摘した時の反論は「自覚のない証拠」

さらに大変なのは、皮肉を言っていることを指摘した時に強く反論する人。皮肉を言ってる自覚すらないというもっと深刻な状態です。

自覚しながら皮肉を言う人よりも、少しタチの悪い状態になります。本人は長い間、皮肉でのコミュニーションが習慣になってしまいるため無意識の反応として出るようにまでなっています。

そうなってくると、本人の気づかないうちに誰かを傷つけることが増えてしまい人間関係は安定せず長続きしない。さらに、本人の心の欠乏が深まっていきどんどん皮肉を強めていくと言う悪循環に陥っていきます。

実は皮肉を言ってる人には切ない背景があったんだね...






皮肉な人に遭遇!どう対処する?

彼らの心理構造を理解することはできましたが、実際に皮肉なコミュニケーションを取ってしまう人に遭遇して、ターゲットにされた時にはどう対処すればいいのでしょうか?

次に、自分が遭遇したときの対処法を考えていきましょう!

「やばいここにいる...!」というテキストメッセージ、右下には会話に入れずに困惑する男性のイラスト、左下には「ぐぬぬ、出会っちゃった!」と焦るオニオオハシのぬいぐるみ"ねぐち"の写真が描かれた画像。

皮肉を真に受けない

今まで話したような、皮肉な人の心理構造を理解することができるようになると彼らに対する見方が大きく変わってきます。「はいはい」という感じでスルーすることができるように。

「そのパターンね」「そうだよね不安なんだよね」などと皮肉の言葉を間に受けず、その背景にある彼らの抱える怒りや不安感に目を向けることがおすすめです。




一歩引いて、本当はどう考えてるのかな?

皮肉を言いたくなる状況にヒントが隠れていることが多いです。ここで、女子会でありがちな皮肉例からその人の裏にある思いを読み解いていきましょう。

「あれ?なんか今日、気合い入ってない?デートでもあるの?」

  • 表面の意味:「今日はおしゃれしてるね!」
  • 裏の意味:「普段より頑張ってるの、ちょっと浮いてるよ」「張り切っててちょっとウケる」
  • 心理背景:おしゃれな友達に対する軽い嫉妬や牽制。「いつもと違うね=ちょっと浮いてる」含みあり。

「○○ってほんと男ウケ良さそうな服ばっか着てるよね〜」

  • 表面の意味:「似合ってるね(?)」
  • 裏の意味:「媚びてるように見える」「計算してるよね」
  • 心理背景:「無自覚にモテてると思ってない?」「ちょっとあざといかも」と思っている時の攻撃+嫉妬のミックス

「○○って、ほんと恋愛体質だよね〜」

  • 表面の意味:「恋に生きてるね(笑)」
  • 裏の意味:「また男の話かよ」「依存っぽくて心配…(見下し)」
  • 心理背景:恋バナばかりする友人に対するイライラや呆れ。直接言えないからやんわり突く。


なんか色々と隠れた願望がたくさんあるんですね。

ねぐちには分からないかもしれないが、女性同士というのは大変なんだぞ。





必要以上に巻き込まれない距離感が重要

こういった複雑な心理状態が絡み合った結果、皮肉を言うという表現を使っているのです。そういった人は改善が見込めない悪循環に陥っていることが多いため距離を置くのが現実的な得策と言えるでしょう。

皮肉を言っている本人自身が最もつらいのですが自分が巻き込まれないためにも、そっと軽く受け流しておくことがベターかと思います。




【まとめ】皮肉の裏にある寂しさを知る

「理解するやさしさを...」というテキストと右下に世界中の人たちが仲良くしてるイラストが書かれた画像。左下には「小競り合いが減るといいな」とつぶやく両手を挙げているオニオオハシのぬいぐる"ねぐち"の写真

皮肉の奥にある強い「承認欲求」

どうして皮肉を言おうと思うのか?と考えた先では、心の奥にある不安・自己否定・承認欲求が見えてきました。本人が自覚する機会がない構造になっていることが、最も辛いことかもしれないと思います。

その寂しさやしんどさを理解しつつ、自分が不快にならない程度の距離感でいようと思います。


自分は、自分の心を守ろう

皮肉な人と遭遇すると、自分も嫌な気持ちになることが多くなります。「はいはい」と流してもいいですし、この人といると気分が悪くなるからと距離を置いてもいい。

今回紹介したような対処法を使いながら、自分自身の心を守ることを最優先していきましょう。



言葉でなく、心で繋がれる世界を目指せ

言葉はコミュニケーションを取る上で非常に便利で有効的なツールです。しかし、使い方を間違えると諸刃の剣になっていく。

だから僕が大切なのは、人によってまったく違う”それぞれの心”を理解してあげることだと思います。

『相手の心を理解すること+自分の心を理解すること』はとても難しく大変なことですが、それができるようになっていくと「心が繋がれる関係(=信頼関係)」が増えていき、揉め事の少ない世界になるんじゃないかなと思っています。

完全に無くすことは難しいですが、少しでも小競り合いや揉め事が減ったらいいなと思ってしまいます。


それでは本日は以上です。最後までご覧いただき、ありがとうございました。

  • この記事を書いた人

neguchi Kotaro

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