ねぐちの連載 依存の依存

依存を抜け出す時の苦痛|役割を手放すときに起こる罪悪感と不安

前回は、「依存される役割」に依存していたことを書いた。


今回は、依存される役割を降りるときの話。



役割を手放そうとしたとき、最初に出てくる恐怖

複数の開かれた本とコーヒーカップ。役割を手放した直後の混乱や思考の行き場のなさを象徴する画像

「必要とされなくなる」ことへの不安

長いこと、役割を持つことに依存しながら、
自己価値を見出してきた私にとって、
役割を降りることは容易ではありませんでした。



必要とされない場所、
頼りにされない関係。



そんな場所でどう関わればいいか、
どう振る舞えばいいか分からない。



不安が募ります。

役割を失った自分が空っぽに感じる理由

誰かのための役割を持たない自分は、
無価値のように感じて、虚無感が出てくる。



自分には何があるんだろう。
と、落ち込む感覚に。



じゃあ、何をすればいいの?
これからどうしたらいいの?


これまでと同じように、「他の役割を探そうとする回路」が働き始めます。

頭では分かるのに、ついてこない心

私の場合、その役割を担い続けるうちに、
自分がどうしたいかより、
相手が何を必要としてるかを優先するように
なっていました。



自分の感覚を抑え、相手に合わせ続ける。
しかし、そのやり方では、
いつか自分が持たなくなる。



だから、この役割はいつかやめなくちゃいけない
と頭ではわかってるのに、心がついてこない。

なぜ罪悪感が生まれるのか

「支えてきた」という事実が足かせになる

やめられない理由の1つに、強烈な罪悪感に苛まれることが挙げられます。

これでいいのか?
悪いことをしてるのではないか?
私は、見捨てたのではないか?



いつの間にか、「人を支える自分」まで含めて、自分自身だと思うようになっていたのかもしれません。



だから、その役割をやめるということは、
「じゃあ自分は何なのか?」と混乱し、
自分の価値を見失うことに直結してしまう。

相手を見捨てるような気がしてしまう心理

罪悪感が湧いてしまうと聞くと、相手のためを思っての行動のように見えることも。



ただ、私は、
相手のことだけを思っての行動
とは思えません。



相手のためを思ってるようで、
自分の中にある何かを守っているんだろうな
と薄々、気づいてました。

相手を見捨てるような
気がしているけど、


本当は、

これまでその役割で生きてきた自分まで
見捨てるような気がして、


それが怖いのかもしれない。



この罪悪感は、相手を思う気持ちと、
役割で自分を保ってきた自己像が、
複雑に絡まり合って生まれています。

でも、その罪悪感は本当に”責任”なのか

それでも、救われてほしいという気持ちは本当です。


父にも旦那にも、身近にいる人にだって、
嫌な思いをしてほしくない。


楽になってほしいし、
立ち直ってほしいし、
幸せになってほしい。


でも同時に、
「私が支えることで、この人が立ち直る」
という物語にしたい自分もいました。

なぜ責任に見えてしまうのか?

本来は、選択したはずなんです。


それがいつの間にか、義務に変わっていて。
これが、役割依存の怖いところです。

「支えたい」が「支えるべき」に変わり、
「手を差し伸べた」はずが

「最後まで見る」という義務感に変わる。



こんな心理になると、役割を降りること自体が無責任に感じられます。



でも、旦那からそうしてくれなんて、
頼まれたことは、一度もありません。

依存を手放すプロセスは、どれもよく似ている

静かな部屋に並ぶ本棚。依存を手放す過程で視点を引き、構造を見つめ直す場面を象徴する画像

どこか重なる「過食嘔吐」との共通点

役割を降りようとしたとき、私は過去の自分を思い出しました。


過食嘔吐をやめたいのに、
やめられなかった5年間。



もちろん、過食嘔吐と人間関係のなかっで担う役割を、同じものとして扱うことはできません。


ただ、「もうやめたい」と思っているのに、手放すことに苦痛が伴う。



その感覚は、あの頃とどこか重なる感覚がありました。

「辞めたいのに戻りたくなる」揺り戻し

過食嘔吐の時も、
今回の役割も、



一度「やめよう」と決めただけで、
綺麗に手放すことはできませんでした。



辞めたいのに、戻りたくなる。


これまでの自分を支えてくれていたものを、もう一度求めたくなるんです。


そんな気持ちの揺り戻しが、起きます。


それがとにかく辛くて、大変で。
だから、依存から抜け出すのは難しいんだろうな。
と、何度も感じています。

自己価値を一点賭けしないために

役割以外で自分を保つ場所を見つける

私が置いていた依存先は、
過食嘔吐や役割。


自分の価値を一つの場所に預け過ぎていたことで、そこを失った時に大きく崩れました。

分散させることで、心は壊れにくくなる

一度、大崩壊しからこそ気づいたことがあります。



自分を支える場所をひとつにしないように。
分散させることを意識するようになりました。



人でも、趣味でも、
仕事でも、好きなことでもいい。



「ここがなくなったら、自分には何もない」とならないように、自分を支える場所を少しずつ増やしていく。



今は、そんな立ち方を探しています。

同じことを繰り返せば、また心は全壊する

また、危うく役割依存を続けてしまうところでした。



父との関係を再演して、
旦那との関係でも、
依存される役割にいることで
自分を保とうとしていました。



ただ、それでは、
父に一気に気持ちがなくなった時のように、
ある日突然、旦那に愛想をつかすでしょう。


そして、また私は探しだすはず。
「新たな役割依存先」を求めて。


それでは、またきっと
相手が変わっただけで同じことを繰り返す。



「必要とされる自分」以外の場所でも、
自分で立てる方法を探す必要がある。



そう思うようになりました。



視野を広げて、いろんな世界があることを知って、
今の自分も悪くないんだって思って。

でも、肯定しすぎることもなく、
否定しすぎることもなく。

もう少し楽に暮らしていけたらいいなと思います。

  • この記事を書いた人

ねぐち

ついつい人の悩みや選択の背景にある「構造」を考えてしまう鳥です。 感情と論理、どちらも踏まえた上で、納得できる理解を大切にしています。 「理解すること」が人生を楽にしていく流れを、ここで記録中。

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