長年の疑問「本当に攻撃的なのはどっち?」というメッセージと枕元で思い悩むねぐちのアイキャッチ画像

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【ねぐち】本当に攻撃的なのはどっち?|たにとの会話で考えたこと

みなさん、こんにちはバードセキュリティのねぐちです!

最近ふと考えた「自分の攻撃性」について。ある日の会話の中で攻撃的だと言われる機会があった僕は、本当に攻撃的なのは僕なのかな?と思ってぐるぐると考え込んでしまいました。

確かに強く怒ることはありますが、それにはちゃんとした背景があるんです。


やっぱり攻撃的なのかな?

どうして僕が攻撃的になるの?とベッドの上で疑問を抱きながら悩むねぐちの画像
どうして僕が攻撃的になるのか疑問で仕方ないベッド上のねぐちの様子

ある日のたにくんとの会話の中で「僕が攻撃的な面がある」と言っていたんです。気になったので詳しく聞いてみると、やられたらやり返す性格のことを指しているようでした。

確かに、やられたらやり返すのは昔から。そのため的に回したくないと何度言われたか分かりません。

たにくん以外にも同じようなことを言われた経験があります。しかし、僕はずっとそのことを疑問に感じてきました。



最初に攻撃したのはそっちなのに...

僕が攻撃的になる場面は決まって、相手からの攻撃があった時です。「やられたら」という前提がないとやり返すことはありません。

つまり、自分から何もしてない人に攻撃することはまずないんです。だとしたら、最初に攻撃を始めた人が一番攻撃的なのでは?と思います。

ちょっとした嫌味や皮肉程度の可愛い攻撃ならスルーすることができますが、全然可愛くないレベルの攻撃をされたら黙っちゃおけません。

だって、そうじゃないと僕がピンチになってしまうから。自分の身の危険は自分で守る必要があるので仕方ないと思います。黙ってやられておけばいいということでしょうか。






理不尽に容赦ないねぐち

僕が強めの反撃に出てしまうのが理不尽な状況の時。そのまま攻撃され続けてしまうと、僕の心身や立場、状況が悪くなりそうだと判断したときです。

そもそも、僕が黙っていそうだと勝手に判断してだったら何を言ってもいいと思う根性が好きじゃありません。

それに、僕が反撃に出たらほとんどの相手が泣いてしまうのも疑問です。

「自分が始めたことなんだから、覚悟して受け止めなよ」と言いたくなります。

自分が攻撃しなければ、こんな反撃に遭うこともないんだから。自分がしなければいいことなんだよ。と何度考えても思ってしまうんです。


また、別の視点も出てきました。



これ以上傷つけないで

「感情が心を守るために大切な機能なんだ」と布団の中で気づいた時の”ねぐち”の画像
発見が嬉しくて、ベッド上でポージング

理不尽が許せないということももちろんですが、自分自身が傷ついているサインでもあるのかもしれないと感じ始めました。

怒りを感じるということ自体に自己防衛の機能があるのかもしれません。だからそれを無視し続けると、自分の心が壊れる・なくなることになる。

そんな危険な状態に陥るのを防ぐために”怒り”があるのかもしれない。

そうなると、これまでの自分のミスに気づき始めました。



何も感じなくなった鳥

かつての僕は、怒りを覚えること自体が悪なのでは?相手と同じように怒ってしまうと同類になるのでは?と思って感情を押し殺すことを選択していた時期がありました。

しかし、それでは自分の感情を犠牲にする機会が増えることになり最終的にはうつ状態になりました。

ここが僕の最大の問題点だったのだとようやく気づきました。

怒りのない日々はとても平穏で楽ちんでした。ただ、同時に楽しさや喜びなども捨ててしまうので「何をしてるのかわからない、いつ終わっても構わない」日々にもなりました。






【前向きな発見】怒ってもいいんだ!

怒ってもいいことに気づいて嬉しい”ねぐち”がポージングを決める画像
なるほどね!と納得してご満悦な”ねぐち”

となると、必要以上に怒りに怯える必要がなくなります。もっと自由に感じるままに暮らしてもいいんだなと思い始めてから少し気持ちが楽に。

これまでの見てきた景色にはたくさんの理不尽が存在しました。そのたびに、徹底的に反面教師としてきました。

あんなヤバい鳥たちにはならない。と強く誓ってきましたが、気づくと僕の方がなんだかヤバい鳥になっていたのかなぁと振り返っています。


誰とも距離が縮まらない鳥

中学生のときにいじめを楽しんでいる子を見ながら、同じ土俵に立ってのコミュニケーションは取らないと決めたことを思い出します。

中学生ながらに「会話が噛み合うことはないんだろうな」と絶望したことを覚えています。

それから、同じような鳥たちを見ては「そうだね」と適当に流していました。理解されないだろうし、この人たちには理解されなくても構わないと思っていたんです。

そんな僕は誰とも距離の縮まらない鳥になっていたことでしょう。



理解されたい相手を発見した鳥

今回は”たにくん”の発言から自分が攻撃的なのかを考え始めましたが、その発言を聞き流すことなく「僕はそうじゃない」と理解されたい気持ちが出てきたことが一番の変化かもしれません。

きっと、僕が攻撃的な事実を受け入れられなくて怒ったのではなく「理解されたい相手に分かってもらえなかった」という切なさから怒りが出たのかなとも思います。

距離感を縮めたいと思う相手が現れてくれて本当に嬉しいです。






人間関係は極端じゃなくて、バランスが大事!

大事なのはバランスなんだと気づき、頑張ろうと意気込んでいる”ねぐち”の画像
よっしゃ頑張るぞ!と卓上ゴミ箱前でポージング”ねぐち”

別角度からの攻撃にも胸を痛めたねぐち

今回考えた「自分の攻撃性」のこと。もっとも攻撃として感じたのは「それを指摘されたとき」だったように思います。

自分が自分を守るためにSOSとして発してるサインを理解されずに、話が進んでいく状況はなんともいえない孤独感が募ります。

そして、自分自身も同じように誰かのことを無意識に傷つけている瞬間がたくさんあるんだろうなとも思いました。


食事も関係性もバランスよく!

これまでは傷つけることも、傷つけられることも怖くて「深く関わらない」ことを選択してきました。その方法は、自分自身を切り崩しながら生活することになるため新卒時にうつ状態になったのだと思います。

極端な距離の取り方は危険!と感じたので、バランスよくが大事なんだと思います。

相性の良い人と程よい距離感で、自分も相手も守りながら、理解して...そんな関係性が築けたらたくさんの栄養になりそうです。

やっぱり食事と一緒で、人間関係もバランスが大事なんだなと感じたねぐちでした。

  • この記事を書いた人

neguchi Kotaro

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