健全な依存関係をテーマにしたアイキャッチ。テーブルの上でファストフードを前に座るぬいぐるみ。

ねぐち心理研究

健全な依存関係を考える|依存と自立は対立するものではなかった

私は長い間、
「依存しない強さ」を身につけたいと思っていた。

誰にも頼らず、振り回されず、
自分の足で立っていられる人間になりたい、と。

けれど、次第に違和感を持つようになる。
本当に、依存はすべて悪なのだろうか。
そして、自立と依存は単純な対立関係なのだろうか。


「健全な依存」とは何なのか

静かな美術館の展示室。距離を保ちながら作品を眺められる空間。

依存=悪、という前提への違和感

依存という言葉には悪いイメージを抱く人も多いだろう。
私もそのひとりだった。

とくに嫌悪感が強かった私は長年、
ヒトにもモノにも執着しないように、
依存しないようにと警戒しながら生きていた。

けど、楽しそうに自立して豊かに暮らしてる人ほど、少し依存してるものがありそうだ。



誰しもが何かに依存して生きている

健康な心を持つ人も、どこかで何かに依存して生きていると知った。

それが趣味なこともあるし、
恋人や友人などの場合もあるし、
多かれ少なかれ、
人は誰しもが何かに依存してる。
それがむしろ健康なんだと気づく。


問題となるのは、程度だ。
そうなると、極端に何にも依存してない自分も
それもまた、不安定な状態なのだと気づいた。





依存で壊れるときに、起こること

一点集中の依存が生む不安定さ

依存で心身が壊れるケースには特徴がある。
それは一点集中になりすぎた場合だ。

  • アルコール
  • ギャンブル
  • 恋人や家族

一点集中してる依存対象が、失われる瞬間に自己崩壊が始まる。

依存を保持できている状態であれば自分を保つことができるが、失うと一気に崩壊するという不安定さを伴っている。

それは長期的な視点で見ると、非常に危険な状態だ。






人間関係の依存は見えにくい

アルコールや薬物などの分かりやすい物質依存の場合は、症状としても広く知られていて、通院・治療法などもある程度確立されているため、周りからも気づかれやすい。

そして、本人も自覚しやすい方だと思う。
ただ、難しいのは人が絡む依存だ。

人が絡む依存の難点

物質依存よりも正当化されやすく、本人たちも「ただの人間関係、必要なもの、健全なもの」として認識してる場合が多い。


ただ、心理構造としては「物質依存も人間依存も変わらない」
そして、自己崩壊を招くことも同じだ。

問題として自覚しづらい点が、より厄介な部分だとすら感じる。







人間関係を断つことが「健全」とはいえない

力がかかりすぎて折れてしまった青い鉛筆と削りカス。

依存をやめようとして孤立する危うさ

人への依存に対する難点を挙げたが、「では人間関係がない方がいいのか」というと、そうではない。

それはそれで不健全だ。
先ほどもあげたように、程度が大切。
だからゼロにする(=完全に断つ)ことも不健全と言える。

極端な選択をした私

私はそんな極端な選択をして、孤立へと向かっていった経験がある。
あの頃の私と今の私では、今の方がヒトに依存してる関係が多い。
そして、今の方が健康な状態だ。



人に頼らない=強い、ではない(弱みを見せることができる「本当の強さ」)

かつては、人に頼らないこと。自分で解決すること。が強さだと誤解していた。

他人に弱みを見せることができる方が、よっぽど強いと知る。
自分とは違う人と向き合いながら、関係を築ける人の方がよっぽど強い。

弱みを見せるためには、
弱みを自覚して、
それを曝け出す勇気も必要で、
誤解されたり・拒否されるリスクも背負って、
という必要があるから。

けっこうな気力が必要になる。




完全な非依存は、むしろ不自然

誰にも頼らず、誰にも寄りかからず、生きていこうとするのは不自然だし、不可能だ。
社会生活を送る上で、完全に一人で生活できる人なんていない。

ご飯を買うにも、店員さんとのちょっとしたやり取りは発生するし、
仕事だって当然誰かとの関わりの上で成立してる。
人間は社会的な生物だから。

依存するかしないかではなく、距離の取り方を考える必要がありそうだ。







自立と依存は、本当に対立するものか

自立する人ほど、依存先が多い

健全な人との距離感について考え始めると、ある疑問が浮かんできた。
これまで"依存と自立は対義語"だと思っていたけど、それって本当かな?

どちらも一緒に存在する可能性もある。
なぜなら、精神的に自立してる人たちは「いくつかの依存先を抱えている」人ばかりだったから。

  • 家族
  • 仕事仲間
  • 趣味
  • 娯楽
  • 嗜好品...

一つ一つへの依存程度は軽い。でもきっと、トータルすると私が一点集中してた分の依存ぐらいはあるように思う。




バランス良く、依存してる状態

そんな風に分散しながら依存してる人は、重すぎることもなく、失っても代替することができて、全壊することがない。
折れない強さがあるため、しぶとさがあるのだ。

分かりやすい強さはないかもしれない。
けど、「自分を長く保ち続けるという点」においては非常に強い。

何事もバランスが大事とは、よく言ったものだ。
そして、それは人生において結構大事なことだとも感じる。





壊れないために必要な強さ

壁に複数の写真が分散して貼られている様子。バランスや多様な視点を感じさせる構図。

これまで求めていた強さ

私が20代前半までに求めていた強さは、一人で完結する強さ、誰も介させないことで成立する強さだった。

それは何にも依存しないで済む。
依存してる人への嫌悪感が人一倍強かったんだと思う。

メンヘラな父と過ごす中で、
メンヘラな同級生の対応する中で、
「凶悪なもの」だと誤った学習をしたのだろう。


気づくと、自分も「一人でいることに依存していた」
すると、簡単に崩壊する精神状態になっていた。

この生き方は、長く続かない。



今こそ欲しい強さ

これからは、バランスを取りながら、視点を広げて、曖昧さを許容し、自分以外の個体も知り、そんなふうに適度な距離感で人と繋がりを持ちながら生きていきたい。

それは今までの自分の生き方とは大きく変わるため、とても難しいことのように感じている。
けど、難しいことだからこそ、
できるようになった時に、
今までと全く違う感覚を味わうことができる気がしている。



  • この記事を書いた人

ねぐち

人の悩みや選択の背景にある「構造」を考えるのが好きだし、癖です。 感情と論理、その間を行き来しながら、納得できる理解を大切にしています。 「理解すること」が人生を楽にする瞬間を、ここで記録中。

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