中央に「死にたくなくなるその日まで」というテキストタイトルが書かれたアイキャッチ画像。左側には休憩室の窓から見える外の景色写真、右側には塔が見える景色の写真。

死にたくなくなるその日まで。

【死にたくなくなるその日まで】期待しないのが一番だったから|ep1

人は、自分自身が初めて見た世界を真実だと思う。

私が5歳の時に見た世界は、信じたくないものだった。

それは合っていたし、合っていなかったとも言える。

こんなに世界が複雑だなんて、あの頃の私は知らなかった。



5歳の散歩道で、歪みに気づいた日

グレーのダイニングテーブルに4脚の椅子が並ぶ様子。奥にはソファとテレビがある様子が撮影されたグレー基調の落ち着いた雰囲気のリビング写真。

愛犬と散歩へ行こう

田舎に住む私は、祖父と一緒に愛犬の散歩に。

よくある光景で、天気も良くて、とてもいい日だった。

5歳の私は、まだまだ外出が楽しい時期で、その日も楽しくて仕方なかった。



「リードをつけて」と「うるさい」の会話

家を出てすぐにリードを外す祖父の姿があった。とても田舎な場所だが、さすがに危ないと思った私は「リードをつけないと」と祖父に促した。

田んぼ道が多いが、車通りの多い道だってある。子供ならがらの危機管理がゆえの発言。

すると、祖父を眉をひそめて「うるさい」と一喝。少し高圧的な言い方に何も言い返せなくなった私は、そのまま散歩に進むことに。

それが、後に効いてくるなんて思ってもいなかった。



振り返ると、事故の瞬間

私が先に道を渡り、少し歩いてから振り返ると、犬がこちらに向かって走ってきていた。

「あ、きた!」と笑顔になった瞬間、車の音、跳ねられる犬の姿が目の前に重なった。

後ろ足を引きずりながら、こちらへ近づいてくる私よりも小さな体。

息はどんどん弱くなり、衰弱していく。私は見守ることしかできず、祖父に助けを求めるように視線を向けた。







大人の会話が強いた、子供の沈黙

カーテンの裾の写真(ベージュ、プリーツの部分)

祖父の「孫が呼んだ」発言

視線を向けた先では、運転手と祖父が話し込んでいた。大人たちの会話が、なぜかクリアに聞こえてきて。

「孫がまだ子供で、何もわかってなくてねー、呼んじゃったんです」そんな説明をしていた。


「えっ...」

目の前には衰弱していく犬、
奥には”嘘で己ばかり守る祖父”
その横には”病院へ行きましょう”という運転手。

あの時に、私の味方だったのはもしかしたら、愛犬を轢いた運転手だったのかもしれない。




家族会議で交錯する、多様な感情

帰宅すると、庭では家族が集まっていた。大人たちが緊急会議を始める。

深刻な空気で、父は、これまでの祖父の素行も相まって激しい怒りを抱いてるようだ。

祖母と母は、場の悪気や家族関係がこれ以上壊れないことだけで頭がいっぱいな様子。

あの頃の私は、そもそも語彙が足りなくて会話に参加することはできなかった。

今の私なら、おそらく会話を整え、状況を整理することができるだろう。

でも、当時はあれが限界だった。「5歳にしては、よくやった」と言ってあげたい。



誰も私を責めないことへの違和感

不思議なことに、誰も私を責めることはない。

変わらず、祖父は「私がやった・私が殺したようなものだ」と主張し続けている。

それなのに、誰も否定しない・誰も叱らない。

父・母・祖母は私のせいだと思ってはいない、それも伝わってくる。

その場にいる全員が自分の立場と感情を守ることに手一杯。

子どもであっても、大人でも、優先順位の一番は結局”自分”。

あの時初めて、「ああ、人は自分が一番可愛いんだ」という言葉を体感した。

だから、自分自身が一番自分を可愛がらなくちゃと思った。






味方がいないかもしれないという仮説

洗面所の鏡が映された写真。グレーの洗面台も映っている。

守られる側ではない自分という感覚

あの日の事件を機に、私は感じた。

「この家の中で、私は”守られる側”ではないかもしれない」と。

泣きじゃくる余裕もなく、状況をただただ俯瞰していたことをはっきりと覚えている

私の方が、皆を守れそうだ。なんて傲慢な感情も抱いた。




どうか間違いであってほしいという願い

それでも、すぐにそう信じたわけではない。

「まさかそんなはずない」「きっと私が勘違いしてるだけだ」と、何度も自分に言い聞かせた。

どうか自分の直感が間違っていてほしいと、5歳なりに願っていたんだと思う。




正しかったと気づいた瞬間

だけど、時間が経っても変わらなかった。むしろ、強化されていった。

それだけじゃない。家族以外にも、同じような人がいることを知った。

自分のことで精一杯な人は、たくさんいるようだ。むしろそんな人しかいなんだと、絶望していく。





期待しないという生存戦略

2つのコンセントが横並びになっている部分をアップで撮影された写真。青色の壁紙の上に設置されている。

期待は禁物という学習

原体験のようなものがこの事件であって、それ以外にも似たような経験が重なり「期待は禁物」と誓ったのが小学4年生のころ。

何か求める前に、一度引いて考える。
どうせ自分で処理した方が早い。
みんな自分のことしか考えてない。
だから、私も自分のことを考えよう

そんな冷めた視点が、いつの間にか標準装備になっていった。



感情よりも状況を読む子ども

感情を表に出すよりも先に、場の空気や周りの人の顔色を読むようになった。

自分が泣きたいかどうかなんてどうでもいい。ここで泣いたらこの人はどうなるか、耐えらえるか。そんな計算だけが得意になっていく。

子どもらしさは失ったが、そんな人間観察力だけは身についていった。




言っても無駄と思うようになったワケ

「子供の意見に、大人は耳を傾けない」

家庭内・学校の先生・近所の人...、大体そうだった。自分の意見・気持ちを言ってみたことは何度もある。

でも、子どもだからと無視をする。それが大半の大人だと知った。


危ないからリードを繋いでという願いは無視されるだけでなく、最悪の結果を招き、挙句”私の責任”にする。

今考えても最低な祖父だが、もっと最悪だったのはそんな人間は世の中にもたくさんいるという事実だった。

諦めはさらに染み込んでいく。



その後の私を形作ったもの

寝室壁の天井付近に3枚の黒縁ポスターが飾られている写真。

人を深く信じない癖

幼少期に身につけた「期待しない」という諦めはその後の人間関係にも大きな影響を持った。

誰とでも仲良くはできる、合わせることもできる。

でも、完全に身を預けることはしない。そんな距離感が当たり前で、親密になりたいとも思っていなかった。



責任のすり替えに敏感になった感性

祖父の責任転嫁を目の前で見た経験は、責任の所在を追いかける癖を生んだ。

誰がどこでボールをすり替えているのか、誰が自分を守るために、誰を差し出しているのか。

そういう構造に敏感になり、そして、驚くほど早く見抜くことができるようになった。



ただただ観察しながら生きる、私

自分の感情を表に出すより先に、状況を分析する。その癖は、大人になってから洞察力や分析力と言われることがある。

けれど、その原型は「守られなかった子供が、自分を守るために手に入れた盾」だった。

しかし、皮肉なことに”人生では結構な武器”になった。この武器のおかげで、社会では大変な人に巻き込まれるトラブルはあまりなかった。




それでも生き続けるための、更新作業

ロープウェイから撮影された景色写真。

当時の解釈を”今の私”が読み替えること

今の私は、あの日の自分の解釈が間違っていたとは思ってない。やっぱりね、と思っている。

むしろ、あの状況でそう判断できたあの子を誇らしく思うし、生き延びるために必要な感性だった。

ただ一方で、あの日の仮説を持ち続けてしまうと、人生の呪いになることに気づいた。




期待しない子供が、大人になって覚えた期待の形

誰にも期待しないことで傷つかずに済む一方で、誰かに心を預ける経験が皆無になった。それは強い孤独感を生み、私の精神を蝕んでいくことに...

大人になってから、信頼や依存、安心といったものを、学んでいる。

本来は、幼少期に経験するのだろう。順番は変わってしまったが構わない。これが、私に取っては最適なステップとなるから。

何も期待しないでもなく、全部預けるでもない。その中間を探してる最中だ。




死にたくなくなるその日まで。

このシリーズをこれから書いていく予定です。だけど、過去の傷をえぐるためではありません。

休憩室のの窓から見える外の空と木を撮影した写真。

20代前半、早く人生が終わればいいなと思っていた。
どうせ、いつか人生は終わるのだから、
その日が早く来ればいいなと。

だけど何かを諦めることができなかった。
分からないけど、何かある気がした。

何かを見つけることができたら、この人生がずっと続くといいなと思うだろう。
まだ、終えたくないなんて思うはずだ。

そんな状態で終えられる人生は、最高な気がするから、

死にたくなくなるその日まで、一生懸命、生きることにした。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。
これから、自分自身の変な人生を振り返りながら少しずつ整理していく予定です。




  • この記事を書いた人

neguchi Kotaro

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