「それはズルイよ」「非を認めず被害者モード」というテキストタイトルが書かれたアイキャッチ画像。右側にはお菓子を小脇に抱えて外を見つめるオニオオハシのぬいぐるみ”ねぐち”の写真がある。

ねぐち心理研究 夫婦関係

【勃発】非を認めないことから始まった深夜の口論|すり替えと被害者モードの心理

みなさんこんちは、バードセキュリティのねぐちです!

先日、クチバシ手術(※実際は歯科矯正の顎の手術入院費用)の返戻金が思わぬ形で戻ってきたんです。

「ボーナスみたいだね!」と喜んだ僕たち。たにくんのお小遣いを少し足そうと思っていた矢先、口論が始まってしまいます。

きっかけは些細なこと。けれど本当の揉めた理由は「返戻金」そのものではありませんでした。

問題は、自分の非を認められるかどうかだったんです。夫婦喧嘩から発展した、非を認めないことの問題点の話、スタートです!




きっかけは返戻金のやり取りから

「きっかけは些細なこと」「嬉しい出来事が揉める原因に」というテキスト画像、左下にはお菓子を小脇に抱えて天井を見上げるオニオオハシのぬいぐるみ”ねぐち”の写真、右下には喧嘩する男の子二人のイラストがある。

思わぬ入金に舞い踊る、僕たち

手術の際に、窓口負担の医療費が払い過ぎだったらしく返戻金が戻ってきたという朗報が入ります。たにくんの給料口座に振り込まれていたことから発覚!

嬉しい!最高っ!なんか得した気分っ♪


連絡をくれた谷くんと一緒に大はしゃぎしていました。そんな嬉しい展開だったので、今月分のお小遣いを増やそうかななんて考え始めます。




僕たちは歩合制のお小遣い

突然ですが、僕たちの家では「歩合制のお小遣い」を採用しているんです。

歩合制のお小遣いって?

一定額以上の収入がある場合、その◯%分の金額を本人のお小遣いとする


会社員ですが、やった分だけ手取りが増える給与スタイルです。働いた分が本人のお小遣いに反映されないとやる気がないはず。だから本人もしっかりと還元されるようにしてるんです。

そんなたにくんが、あることを言い出します。

今回は何%反映されるんですかね?

ん?返戻金なだけで収入の一部ではないから計算はしないんじゃない?





【一触即発】それどういうこと?

僕は、あくまで窓口負担をしすぎてた分の医療費が戻っただけだから「手元にあったはずのお金」という解釈。それを説明した僕。谷くん側の意見も知りたいので聞き返しますが...

説明してよと言っても、話をのらりくらりと交わしながら論点をすり替えたり、歯磨きを始めてその場を去ったり、最終的には「ねぐちが責めているとは思わないようにする」などと言い出す...

なんだかバツが悪そうな雰囲気です。

ここからねぐちが大爆発します。

何を僕のせいにしてくれてんだよ。






最大の問題は「非を認めない姿勢」

「一番の問題って?」「非を認めない姿勢はNOだよ!」と書かれたテキスト画像。左下にはお菓子の上で寝そべるオニオオハシのぬいぐるみ”ねぐち”の写真、右下には胸の前でバツマークを示す男性のイラストがある。

そんなことから夜中に口論が始まった僕たち。問題は、返戻金をお小遣いとして計算しようとしたことではありません。

彼が、些細な非を認めない姿勢なんです。


僕が感じた会話中の違和感

僕は、以下の4つの点に違和感を覚えました。

  1. 『いや、そうじゃなくて』→論点をすり替える防衛反応
  2. 『そういうつもりじゃない』→悪く思われたくないという自己防衛
  3. 会話の途中で歯磨きを始める→無意識的な撤退行動(逃げようとするサイン)
  4. 『相手が責めてると思わないようにするね』→被害者ポジションへの転換

これまでも同じことが原因で揉めることが何度もありました。だから自覚してくれないと、今後も繰り返し揉め続けることになるんです。僕はそれが最も嫌な展開。

よし、ちょうど良いから見直すきっかけにしちゃうか。





そこにプライドがあるんか?

そもそも、どうして「間違いを認めない」「論点をすり替える」などの行動になるのでしょうか?

そこには、何かしらのプライドがあるようです。「プライド」という言葉で簡単にまとめてしまうと問題の本質を見失いそうなので、言葉にしてまとめていこうと思います。

  1. 【知的優位性】自分は賢いと思われたいプライド
    • 普段の会話から理屈で整理するタイプに多い
    • 間違いを指摘される=自分の論理が破綻していたと認めることになり辛い
    • 理屈をわかっている男でいたいというアイデンティティがある
    • 間違えた自分は、存在自体が否定されたと感じやすいことも
  2. 【立場優位性】支配・主導を手放したくないプライド
    • 男性に多いタイプ
    • 自分の方が落ち着いている・正しい立場であるという構図でありたい
    • そんな自分に価値があると信じる
  3. 【自己否定の回避】間違えた自分を嫌悪するプライド
    • 間違えた自分を受け止める耐性が低い
    • 間違えた=ダメな自分と認識してる
    • 自分の心理的安全を守る方を優先するための話のすり替えなどをする傾向がある

自分のありたい立場や像を守りたいがために起こる反応なんだなぁ。

正直、僕にも当てはまる部分がありそう...!







すり替えと被害者モードの構図

「ポジションチェンジはずるいよ」「被害者モードという加害もあるから」というテキスト入り画像。左下には、お菓子横で床にうつ伏せになっているオニオオハシのぬいぐるみ”ねぐち”の写真、右下には頬を膨らませて怒っている男の子のイラストがある。

ここまでは、夫婦のささいなやり取りでした。しかし、今回の件には「どんな人間関係にも潜む”論理のすり替え”と”自己防衛反応”の縮図」があります。

ここから少し、人の心理構造の話に入っていきます。



論点のすり替えは「防衛反応の一種」

人は責められたと感じた瞬間に、心の防御スイッチを入れます。それは攻撃ではなく、心理的な防衛反応のひとつ。

例えば、今回のたにくんのように「ねぐちから責めていると思わないようにする」という発言は心理的な防衛反応のひとつです。

しかし、その瞬間に問題の軸は”事実”から”感情”へとすり替わってしまうんです。

  • 議論のスタートは「返戻金をお小遣いに含めるのは違うよね」という【事実】
  • 「(責めているように聞こえるから)ねぐちが責めていると思わないようにする」という発言から論点がずれ始める【感情】
  • ねぐちの言い方が責めているような言い方かどうか?という内容に変化【感情】

この構図の厄介な点は、どちらもそれぞれの正しさを主張することができる点にあります。

だから、なかなか口論が終わりません。どちらも自分は悪くないのに...と思い続けることができます。





自分の非を直視する力を失うことに

論理のすり替えをする防衛反応は、自分の心を守るための一時的な避難場所のようなものです。

それを一時的に利用するのはいいですが、常時使うようになっていくと「自分の非を直視する力を失う」ことになっていきます。

「自分は悪くない」「自分には非がない」と思い続けると自分自身を改善するきっかけを失うことになります。



被害者モードに突入

その他にも、責められている、可哀想な立場にいる自分と思うことで自分の加害的な一面から目を逸らすこともできます。

相手の加害性を責めることができる「責められているように感じた」という一言は非常に便利です。

その言葉を発した瞬間に、話の主導権を奪い返すこともできます。気付かぬうちに、指摘されていた事実がどこかへ消えていくことに。





被害者ポジションが原因で奪われる成長の機会

「それが一番怖いのかも」「いつか誰もいなくなるかも」というテキスト入り画像。左下にはお菓子をクチバシに咥えるオニオオハシのぬいぐるみ”ねぐち”の写真、右下には追い詰められた人のイラスト(男性)がある。

被害者ポジションが生む「新たな加害」

被害者の立場を取り続けることで反省しないまま相手を攻撃する構図ができる。その人は、ずっと精神的な成長をすることはなく停滞したままに。

  • 「自分の非を認めない」
  • 「自分の心を守るための行動」

そんな心の守り方をしてしまうと、自覚のないうちに加害してる側になる状況なので相手との関係性が良くなることはありません。自分が変わるしかないのです。

若いうちは許されても突然許されない年齢が訪れ、周りの人が離れていくでしょう。



実は周りがかなり迷惑をしてる構図

被害者の立場にいると、なぜか自分は安全だと錯覚してしまいます。でも、その守りの姿勢が長く続くほど実は相手を傷つける構図が生まれることに。

例えば、今回のように谷くんが責められていると感じると言った瞬間から、その言葉には、無意識のうちに「君が悪い」「君の言い方が攻撃的だ」というメッセージを含むことに。

つまり、被害者である自分という立場をとることで結果的には相手を加害者に仕立て上げてしまうんです。

あくまでも、これは意図的な攻撃ではありません。自分を守ろうとした結果、相手を傷つける側になっていたという状況です。

何度も被害者ポジションに回る構図が続くと、何を言っても・どう伝えても責めていることにされる状況に追い込まれていき、対等に対話することは不可能になっていきます。



目指すのは「責めを受け止める力を鍛える」こと

ほんの少しの出来事でも、私は悪くないと思うことは可能です。簡単にその場の気持ちを安心に持っていくことはできる。

しかし、一方で「確かに自分にも非があったかも」と見つめ直すことができる人は少しずつ変化していくため数年後、数十年後には大きな成長をしている。

自分の非を認めることは一瞬のうちは苦しさが伴うかもしれませんが、長い目で見ると苦しむのは「非を認めずに誰かのせいにし続けた方」です。


被害者でい続けることは、加害者になることと紙一重なのかもしれません。

自分が責められない場所で生きるより、責めを受け止められるスキルや鍛錬を積む方が、きっと楽しくて自由な生活になります。

ついつい楽な方に流されがちすが、長い目で見たときの楽しさを取る生き方の方が得な気がしています。

次回は、自己防衛がどのように成長を止めてしまうのか・どうすれば成熟という形になっていけるのかを考えてみることにします。

それでは本日は以上です。最後までご覧いただき、ありがとうございました!

  • この記事を書いた人

neguchi Kotaro

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