記事要約:自由は外側ではなく、自分の内側の見方で変わるという気づきの話
自由は、外にはない
30歳になって、ひとつだけ嬉しいことがあるんです。
それは、少しだけ、自由になれたこと。
昔の私は、
ずっと周りを警戒してました。
目立たないように、
浮かないように、
誤解されないように。
安全に生き延びるための方法は、
ちゃんと心得ていたから。
欲しかった、自由

でも、どこかでずっと分かってました。
これじゃない、と。
もっと自由になりたいと思ってた。
好きなように生きること、
好きな人と関わること、
制約のない生活。
なんか、違ったかも。
不自由さの正体
不自由さを作っていたのは、
誰かでも、世間でもありません。
自分でした。
こうしなくちゃいけない。
この役割をしなくちゃいけない。
そう思っていたのは、
全部、自分の内側から来てるものでした。
それに気づいた時、
少しだけ、自由になれました。
(※役割に縛られていた頃の話はこちら→私は依存される役割に、依存していた|歪んだ「自己価値の定義」)
性別の取り扱い
女であることも、
”ひとつの役割”として感じていて、
正直、扱いづらかったです。
なくなればいいのに、と
思ったことだってあります。
女性じゃなくなれば、楽になるのか?
そんな、たらレバを考えたこともあるけど。
性別は変えられないから。
なら、その中でどうするか。
そんな風に、広げて考えられるようになったとき、
少しだけ、全体の見え方が変わります。
思ってるよりも、綺麗な世界
世界は、簡単じゃないと
つくづく感じます。
でも、思ってたよりも、
綺麗に見える。
空があって、
人がいて、
生活があって、
暗くて淀んだ、残酷さもあるけど、
明るくて澄んだ、優しさもあるから。
いいも、わるいも、
全部が混ざっている。
どこを切り取るか

どこを切り取るかで、
見え方は変わります。
切り取り方を変えると、
自由も増える。
少し引いて見たら、
やっぱり悪くない景色だと思った。
だから、
捨てるにはもったいない。