ねぐちの連載 依存の依存

依存しない強さほど危険なものはない|健全な依存という視点

私は長い間、「依存しない強さ」を身につけたいと思っていました。


誰にも頼らず、
振り回されず、
自分の足で立っていられる人間になりたい、と。


だから、「依存される役割」に自分自身が依存していたと気づいたときも、最初に考えたのは「この依存をなくさなくては」ということでした。



けれど、考え続けるうちに違和感を持つようになります。


本当に、依存はすべて悪なのでしょうか?


そして、自立と依存は、
単純な対立関係なのでしょうか。

「健全な依存」とは何なのか

静かな美術館の展示室。距離を保ちながら作品を眺められる空間。

依存=悪、という前提への違和感

依存という言葉には、悪いイメージを抱く人もいると思います。


私もそのひとりでした。


むしろ、人一倍
嫌悪感が強かったように思います。



ヒトにも、モノにも、
なるべく執着しないように。


何かを失っても、
自分ひとりで立っていられるように。


そんな人間でありたい。
そう思っていました。


でも、大人になると不思議なことに気づきます。

楽しそうに、自立して、
豊かに暮らしてる人ほど、
何にも依存してないわけではない。


健康な心を持つ人も、どこかで何かに依存して生きていると知ったのは大人になってからです。

誰しもが何かに依存して生きている

家族がいたり、
大切な友人がいたり、
夢中になれる趣味があったり、
仕事に居場所があったり。


むしろ、
いろんなものに少しずつ
寄りかかりながら
生きてるように見える。


多かれ少なかれ、
人は何かに支えながら生きているようだ。


だったら、


「依存しているか・していないか」だけで考えること自体が、少し極端なのかもしれない。


大切なのは、その程度やバランスなのではないか?



そんな風に考えるようになりました。

私のしてた誤解

何にも依存してない自分は、
強いと思っていました。


でも、実際は違います。


誰にも頼らない状態は、”崩れる先がない不安定さ”を作り出すから。



それでも、
「自分は大丈夫」
そう思い続けた。


崩れてからようやく、
このやり方には限界があったんだ
と気づきました。

依存で壊れるときに、起こること

一点集中の依存が生む不安定さ

自分の依存について振り返っていると、もう一つ気になることがありました。


私の依存は、いつも一点集中に近い状態だったんです。

  • 過食嘔吐
  • 「誰かを支える」という役割


それがある間は、自分を保てる。


でも、その一つに自分を保つ役目を集中させてしまうと、それを失った時の衝撃も大きい。


私の場合は、
自己崩壊が始まってしまった。


この経験から、
「何に依存するか」だけでなく、
「そこにどれだけ自分を預けいてるか」
その割合も大切なのではないか。


と、思うようになりました。

人間関係の依存は、見えにくい

私がとくに気づきづらかったのは、人が絡む依存でした。


アルコールや薬物などの物質への依存は、「依存」という言葉と結びつけて語られることがあります。

人が絡む依存の難点

しかし、

「この人を支えたい」
「この人には私が必要」
「この人がいないと生きていけない」


こうなると、途端にそれが「依存なのか」分かりにくくなります。


愛情だったり、
優しさだったり、
責任感だったり。


いろんな感情と混ざり合うからです。



私自身、「父のメンタルを支える」「旦那を支える」という行為を長い間、依存だとは思っていませんでした。


むしろ、いいことをしてる
それぐらいに思っていた。



だからこそ、人が絡む依存は、
自分自身では見つけにくいことが
多いのかもしれません。

人間関係を断つことが「健全」とはいえない

力がかかりすぎて折れてしまった青い鉛筆と削りカス。

依存をやめようとして孤立する危うさ

では、人に依存する可能性があるなら、
人間関係そのものを減らせばいいのか?


私は一度、そっちへと向かいました。


『依存するくらいなら、最初から頼らなければいい』


「振り回されるくらいなら、1人でいればいい」


そんな極端な方向です。


でも、それで楽になったかというと、
そうではありませんでした。


人との関係を断てば、
依存するリスクは減ります。


でも、同時に人との関係から
得られるものまで失ってしまう。


私に必要だったのは、
「依存しないこと」ではなく、

どう依存するか、
どんな距離で人と関わるか

これを考えることだったのだと感じます。


極端な選択をした私

私は実際に、極端な選択をして
孤立する方向へ向かったことがあります。


人に頼らない
弱みを見せない。
自分のことは自分で処理する。


そうすれば、
人に振り回されることもない。


あの頃の自分と今の私を比較すると、
今の方がずっと、
人に頼って生きています。


昔より、
誰かに依存してるのに、
今の方が安定してる。


私にとっては、それが「依存=弱さ」という考えを疑う大きな材料となりました。

人に頼らない=強い、ではない(弱みを見せることができる「本当の強さ」)

かつては、人に頼らないこと。
自分で解決すること。


これが、強さだと思っていました。


でも今は、少し違う見方をしています。



誰かに弱みを見せることにも、
別の種類の強さが
必要になるんじゃないか。

弱みを見せるためには、
まず自分の弱さを

自覚しなくてはいけない。

それを言葉にする

勇気も必要で、

誤解されることもあれば、


受け止めてもらえない

こともある。


それでも、人と関係を築こうとする。


私にとっては、1人で抱えることよりも、こちらの方が難しいことでした。


だから今は、
「誰にも頼らない人」だけが強いわけではないんだと感じています。

完全な非依存は、むしろ不自然

そもそも私は、「自立」という言葉を、


何にも依存せず、
一人で成立している状態

のように捉えていました。

でも、本当にそうなのでしょうか。


誰かが作ったものを使い、
誰かの仕事によって生活が成り立ち、
誰かと関係を持ちながら生きている。


完全に一人だけで成立する生活なんて、少なくとも私には想像できません。



だったら、

自立とは「依存しないこと」ではなく、依存との付き合い方を自分で選べることなのかもしれない。

そんなふうに考えるようになりました。

自立と依存は、本当に対立するものか

自立する人ほど、依存先が多い

健全な人との距離感について考え始めると、ある疑問が浮かんできました。


これまで"依存と自立は対義語"だと思っていたけど、それってどうだろう?


なぜなら、精神的に自立してる人たちは「いくつかの依存先を抱えている」人が多かったから。

  • 家族
  • 仕事仲間
  • 趣味
  • 娯楽
  • 好きなもの...

一つ一つとの距離が、それほど重くない。


でも、自分を支えてくれる場所はいくつもある。


ひとりで立っているように見えて、実際にはいろんなところに少しずつ寄りかかっている。


そんな人が、上手に立っている人なのかもしれない。と感じています。

バランス良く、依存してる状態

そんな人たちを見ていると、


私が一点に預けていたものを、
いくつもの場所に
少しずつ分けているようにも見えます。


一つを失ったら悲しい。


でも、それだけで
自分の全部が
なくなるわけではない。


他にも自分を支えてくれる場所があるからです。


私が欲しかった「強さ」は、
何にも寄りかからないことではなく、

一つがなくなっても、
自分の全部までは倒れない状態


だったのかもしれません。


分かりやすい強さではないけれど、長く自分を保ち続けるという意味では、私はこちらの方がずっと強いと思うようになりました。

壊れないために必要な強さ

壁に複数の写真が分散して貼られている様子。バランスや多様な視点を感じさせる構図。

これまで求めていた強さ

私が20代前半までに求めていた強さは、


『一人で完結する強さ』でした。



誰も介させない。
誰にも頼らない。
誰か失っても、
自分には影響がない。


そうすれば、
何にも依存しないで済む。

メンヘラへの強い嫌悪感の正体

それに私は、
依存してる人への嫌悪感が
人一倍強かったんでしょう。

メンヘラな父と過ごす中で、
メンヘラな同級生の

対応をする中で、

「気持ち悪いもの」だと

誤った学習をした。

誰かに強く依存されること。
感情をぶつけられること。
「あなたが何とかして」と
求められること。


依存すること自体を「気持ちの悪いもの」として捉えるようになっていったのかもしれません。

私が依存した「ひとりでいること」

私は絶対に、そちら側にはなりたくない。


そんな思いが強くなった結果、

気づけば自分は、
一人でいることに依存していました。


人に依存しないために、
孤立することを手放せなくなっていった。


依存から逃げたはずなのに、
別の形に固執していた。


そして、その生き方には限界がきました。


このやり方では、
長く自分を保つことができない。


そう認めることになりました。

今こそ欲しい強さ

だから今は、
以前とは少し違う強さが欲しいと思っています。


何にも依存しない強さではなく、


誰かに頼ったり、
一人で考えたり、
ときには弱みを見せたり、
距離を取ったり。

そのときの自分に合わせて、
いろんな場所を行き来できる強さ。


視点を広げて、
自分とは違う人がいることを知っても、

曖昧なものを、
曖昧なまま置いておく。

自分にとって
ちょうどいい距離を、
その都度探していく。


そんなふうに適度な距離感で
人と繋がりを持ちながら
生きていきたいです。



今までの自分の生き方とは大きく変わるため、とても難しいことのように感じてしまいます。



けど、難しいことだからこそ、
できるようになった時に、


今までとは全然違う感覚を味わうことができそうです。



それを、楽しみにしています。



  • この記事を書いた人

ねぐち

ついつい人の悩みや選択の背景にある「構造」を考えてしまう鳥です。 感情と論理、どちらも踏まえた上で、納得できる理解を大切にしています。 「理解すること」が人生を楽にしていく流れを、ここで記録中。

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